職人的生き方の時代

自分だけの生態学的ニッチで生きる

競争社会から降りるために社会人大学院へ

社会人大学院は、競争社会から降りるための「場」として機能すると思っています。競争に勝つために大学院に行くのではなく、自分だけのダントツの強みを確立して、他者と協働するために行くことになります。スローガンとしても「競争から協働へ」と語呂がよい事でしょう。

大学院に行けば、自分の研究について新規性・独自性・独創性が求められます。すなわち、自分だけの強みを確立することになります。オンリーワンです。そうすると、必然的に他者とずらしたポジションとなります。

また、大学院で研究を続けても、必ず「残された課題」というものが出てきます。だから自分だけでは解決できない問題が山ほどあることも理解できます。そうすると、他者と協働しようというインセンティブも生まれます。そして、ただの競争からイノベーションも生まれないことも直感で認識できるようになります。

つまり、社会における目の前の課題に対して、それぞれの強みを活かして協働しようということになるわけです。それは、競争したくても競争相手がいないという環境を作ることになり、ある意味でとても快適なことです。

資本主義社会では自由主義のもとでひたすら競争をさせれてきました。競争が経済を強くするとか、競争がイノベーションを起こすなどと考えられ、大学にまで自由競争が持ち込まれました。しかしその結果は大学の現場が疲弊し研究力はガタ落ちになりました。

さらに、日本社会もアメリカや欧州と同じように貧富の格差が拡大し、社会の活力が失われました。自由競争社会は、結局、勝者が敗者から収奪するゼロサムゲームになり、社会全体を豊にすることができなかったわけです。それどころか、不安と恐怖が常につきまとう社会となってしまいました。

わたし自身が意識してきたことなのですが、常に他者とずらしたところに居場所を見出すということです。しかもひっそりと。でもそれがわたしにとって正解だったわけです。

わたしが生きてきた金融業界というと、徹底的な競争社会で、生き馬の目を抜くような世界と思われがちですが、意外とひっそりと生きていくことができました。それを可能にしてくれたのが大学院での研究であったと思います。あとは人とのめぐり合わせでしょうか。これがもしかしたら一番大切なのかもしれません。