職人的生き方の時代

自分だけの生態学的ニッチで生きる

教育は「国家100年の計」のはずなのに

わたしが書籍やコミュニティを通じて多くの人に「社会人大学院というものが世の中にあるよ」ということを伝えたかったことの1つに、貧困の連鎖を断ち切りたいという思いがありました。

教育は消費ではなく投資であり、将来の所得を押し上げる効果があるのは、経済学における実証研究でもあきらかです。わが家もできる限り3人の子どもの教育費は工面してあげたいと思っています。

問題は、わが家は「何とかしてあげられる」かもしれませんが、かなりの数の家庭で「何ともできない」という事態があるということになります。

小林雅之『進学格差 - 深刻化する教育費負担』(ちくま新書、2008年)には次のような事例が紹介されています。
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沖縄県出身の佐和田篤さん。進学した弟の入学金が足りず、母は篤さんの奨学金を当ててしのいだ。無理をしてくれた親のためにも卒業はしたい。教育実習も終えた。だが10月、学費滞納で除籍という通知が届く。帰省した息子に両親は、「ごめんね」と繰り返し、篤さんは「僕が進学しなければ良かったんだと」と自分を責めた(毎日新聞)
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同じ親として涙がでるんですね。日本は、家庭が教育費を負担するという固定概念があり、これがかなり強固です。本来、教育は「国家100年の計」ということで国が面倒をみるべきだと思います。

現に成熟したヨーロッパ大陸の国々では、授業料は無料の国がほとんどです。なぜ日本で同じことができないのか憤りを感じます。

しかし、そんなネガティブな感情を持ち続けていても仕方がありません。そこで、以下のような点で、何かしらの理由で大学進学機会を失った社会人にとって、大学を飛び越えて大学院に行ってしまうメリットがあることを情報として届けたいと思いました。

・大卒ではなくても実務経験があれば大学院に進学できること
・入学試験も面接のみで受験可能な大学院もあること
・大学院は1対1の論文指導による論文執筆で論理的な思考能力が鍛えられること

自分で稼いだお金で大学院に行く分には、誰にも迷惑はかけないし、文句も言われません。そして、家庭の事情で進学できないという人がいない社会になることを切に願います。