スペシャリストの生き方

自分だけの生態学的ニッチで生きる

転職市場のリクルーターは人生の伴走者

人材紹介会社の活動は1990年代後半から徐々に活発になってきたと思われる。実際に登録すると、想定される転職後の年収が提示されるサービスがあったと記憶する。当然、人材紹介会社としては伝統的な日本企業にしがみつく優秀な人材に転職を促し、自分たちの手数料を稼ぎたいので、高めの想定年収を提示して登録者をその気にさせることになる。人材紹介会社の手数料は、一人紹介に成功すると転職先の企業から年収の20%から30%の手数料が入るわけであるが、常に新しい人材を発掘して転職してもらわないといけない狩人型のビジネスなので、人材紹介業もそれなりに大変の職業である。

そして、筆者が属していた損害保険業界でも1990年代後半から始まった自由化の流れと相俟って、多くの人がとりあえず人材紹介会社に登録した人も多かったことであろう。しかし、当時安定していた損害保険会社を辞めて転職するという選択肢を選んだ人は、そんなに多くはなかったと思う。ただ、2000年前後から急激に損害保険業界の合併が盛んになり始めて、当時、20社以上あった損害保険会社はどんどん数が減っていった時期には、人材紹介会社に藁をもつかも思いで頼り、多くの人材が意を決して転職に踏み切ったのだと思う。

ちなみに、筆者が社会人になったのは1993年であるが、当時PCなどないので、20社以上ある各社の人事部への資料請求は手書きの手紙であった。そして、ほとんどの会社からは何ら返事はもらえなかった。なんとも失礼な業界だったと思う。しかし、そのくらい傲慢な姿勢でもそれなりの人材が集まった時代でもあったのだろう。各企業にはまだ指定校制みたいなものがあったと記憶する。一方、今の学生はネットでエントリーができて、社数も減ってしまったので楽ではあるが、その分選択肢も減って大変な面もあるのであろう。

話を元に戻すと、人材紹介会社のコンサルタントのことをリクルーターというが、もともとアメリカで兵隊を採用する専門人材のことをリクルーターといっており、その言葉が転じて、人材紹介会社のコンサルタントをリクルーターと呼ぶようになっている。ヘッド・ハンターという呼び名もあるが、ここではリクルーターと統一しておく。

そのリクルーターであるが、人材紹介会社の規模やバックグラウンドによって様々なタイプの人がいる。よって、自分に合うリクルーター、あるいは的確な助言をくれるリクルーターに巡り合うことが大切である。そして、常に2、3人とお付き合いしておくとよい。また、20代のときと30代のとき、あるいは40代のときではお付き合いするリクルーターは変わるであろう。それぞれ、年代やポストのレベルで専門性や得意分野が違うのでだと思われる。また、大手の人材紹介会社よりも小規模か個人でリクルーターをしている人のほうが、鋭く厳しいアドバイスをしてくれるので、気づきを得られて良いはずである。

「一流大学を出ているとか、英語ができるとか、MBAを取りました、くらいで良い転職ができると思わないでください!」

などという辛口の発言がポンポン飛んでくるくらいが、目が覚めるのでちょうどよいであろう。大手人材紹介会社のリクルーターであれば、大手であるがゆえに、起業家精神の旺盛なリクルーターは珍しいからといのもあるかもしれない。また、今の時代であればリンクトイン(LinkedIn)などを通じて、香港やシンガポールのリクルーターともつながっておくとよい。とくに外資系企業の場合、日本のポストでありながら海外から提案されることもあるからである。

このように、20代のとき、30代のとき、あるいは40代のときと、自分の人生に伴走してくれるリクルーターをつくっておくことは、いざというときに心強いはずである。また、リクルーターは当然自分の手数料を稼ぎたいので、様々な案件を提案してくるが、自分が転職するタイミングではないときは単に断るのではなく、その案件に合致しそうな知人を紹介することも大切である。自分で俄かリクルーターになるのである。あるいは、職探しをしている友人・知人がいるのであれば、どんどん信頼できるリクルーターにつなげばよい。そして、どんどん転職市場を活性化させるぐらいのことをしても良いわけである。

そのようにしてリクルーターと付き合っていくと、自分がだんだん年齢を重ねてくるにつれて、今度は自分が採用する立場になる機会がある。ある意味で、自分が転職するより採用する方が、難易度が高いという面もあるが、過去に行ってきたリクルーターとの付き合いを通じて、業界のどこにどのような人材がいるのかわかるようになり、人材の採用においてもプラスになることがある。業界の人材をある程度把握し、自分が採用しなければならない立場になったときには、この人とこの人には必ず声をかけたい、という人材のデータベースはある程度持っておくことも必要ということである。

「ダイバーシティ」の本当の価値はリスク管理

組織のダイバーシティを促進すると、製品開発やマーケティングなどによい影響を与え、企業のパフォーマンスが向上するという説や実証研究は多い。ダイバーシティを推進している企業の業績が良いのか、業績の良い企業がダイバーシティを推進しているのかは定かではないが。ただし、ダイバーシティリスク管理の向上に資することは確かなように思えてきた。

第二次世界大戦で無謀な戦争に突入した日本軍のことは、今からみれば不思議な決断のように思われるが、当時の日本軍の視点からは当然の決断だったともいえる。当時、陸軍大学校でドイツ語やフランス語、ロシア語を学ぶ者が主流派で、英語を学ぶものは傍流だった。そして、英語を学んだ者の中にはアメリカやイギリスの国力や軍事力を十分理解して、英米との開戦には消極的だったという。アメリカの敗戦直後の調査報告書『日本陸海軍の情報部について』(1946年4月)においては、アメリカやイギリスに対する情報分析が圧倒的に不足していたことが指摘され、軍の指導者はドイツが勝つということを断定し、連合国の生産力、士気、弱点に関する見積もりを過小評価していたとされる。そして、軍の幹部はドイツ語を学んだもので占められ、ナチス・ドイツに心酔し、アメリカやイギリスの実力を甘く見ていたこと報告されている。

当時、現在の中学生くらいの年代を選抜して軍の幹部候補生として教育することを目的とする陸軍幼年学校では、ドイツ語が主に学ばれ、その後の留学先もドイツであった。陸軍幼年学校出身の東條英機も、ドイツ語を学びドイツ軍の勝利を確信していた。そして、首相になった東條英機は、自分の周辺に陸軍幼年学校でドイツ語を学んだ者で固めていった。当然、イギリスやアメリカの実力を深く理解している者の見解や意見は彼のものとには届かなかった。たしかに、戸部良一ほか『失敗の本質』(ダイヤモンド社1984年)という名著でもノモハン事件の分析において、日本軍の砲兵力不足、架橋能力不足、後方補給力不足等と並んで「敵を軽蔑し過ぎている」という点が挙げられている。ドイツという世界しか見えていない者にとっては、アメリカやイギリスの実力を肌で感じることができなかったわけである。そして、もし東條英機アメリカやイギリス留学経験者も自分の側近に登用していれば、また違う結末もあり得たのではないだろうか。旧日本軍の失敗が典型例かもしれないが、組織の多様性を維持することが組織の生き残りに必須であることが示唆されることになる。

もう一点、もう少し最近の例を参考にするなら、2011年の福島原発事故の対応がある。日本企業の多くは、日本政府の情報提供を信じて事の重大さに気づかなかった。放射能による被害は時間の経過を待たないとわからないが、多くの外資系企業は、日本からの脱出を従業員に指示していた。明らかに取れる情報が日本企業とは異なっていたからである。フランスの原子力研究機関であるIRSNやオーストリア気象庁の研究機関であるZAMGは、2011年3月15日のシミュレーションで首都圏の汚染を予想していた。ノルウェーやイギリス、ドイツでも類似のデータが公表されていた。そして、東京の広尾に所在するフランス大使館では、雨によって、3月21日、22日に放射線量の急激な上昇を確認している。それは実測値であるので、シミュレーションや仮説ではない事実である。よって、原発から離れていても風の向きとその後の雨のタイミングで汚染地域は広がることはあったわけである。

この例からもわかる通り、福島原発事故のような危機対応時に日本政府の情報だけから判断することは危険であるということである。組織内で他国から情報を取れる多様性を維持しておくことが、バランスの取れた判断には重要になる。しかし、多くの日本企業の経営陣は、日本政府からの情報を信じて他のルートから情報を取る努力はしていなかったと思われる。あの時、社外取締役に外国出身で全く異なる情報ルートや視点をもった人材がいたとしたら、多くの日本企業の対応は異なっていたかもしれない。将来、もっと深刻な事態に我々が直面する可能性があるわけなので、今からでも情報入手のルートや人材の多様性を高め、リスク管理の向上に努めることが必要だと思われる。

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1999年ルーマニアの年収は20万円

1999年、ルーマニアに留学しようとある団体の奨学金に申し込んだことがある。

「厳しい寒さが続いていますがご健勝のこととお慶び申し上げます。

さて、ご応募いただいた「2000年度日本人留学生奨学生」は30名の採用予定に対し544名と極めて高い競争率となりました。

留学計画書、推薦文、学校の成績等の提出書類によって慎重に選考した結果、貴方は面接対象者として選ばれました。」

そのことを、ルーマニア人の友人に報告した。

「クリス、奨学金の返事がきたよ。」

「どうっだった?」

「2月に面接を受けることになった。」

「ほんとセイジ、君はルーマニアに行くべきだよ。もったいないよ。アメリカやカナダの大学なんていつでも行けるよ。東ヨーロッパの専門家は少ないから、これは大変なチャンスだよ。」

クリスはブカレスト市のある大学に、日本人留学生を研究生として受け入れてくれるよう打診してくれていた。6ヶ月間その大学でルーマニア語を勉強したあと、ルーマニア北部のクルージュという街にある大学院を受験しようと計画していた。たしかに、東ヨーロッパの法律の専門家は聞いたことがない。あれは、チャンスだったのかもしれない。

しかし、残念ながら、私はそのときすでにカナダのトロントに留学することを決めていた。

「なぜ、カナダになんて行くの? 大学院の奨学金は月20万円だよ。私の母の年収が20万円なのだから、セイジなら月2万円で暮らせるよ。これは大変な贅沢だ。もし英語を勉強したいなら冬休みや夏休みにイギリスに遊びに行けばいい。2、3年遊んでからアメリカでMBAを取ってもいいじゃない。」

彼らしい発想だった。ヨーロッパで2年間遊んで北米へ。なんとも優雅な話だったが後戻りはできなかった。

1999年当時のルーマニアの平均月給は、どうやら月2万円弱ぐらいだったようである。筆者がルーマニアに滞在中、ブラショフ、シナイア、ブカレスト、コンスタンツァのどの街でも外国人観光客が宿泊する三つ星ホテル以上のところにしか泊らなかった。そして、ブカレストだけは高いが、それ以外はすべて7千円以下で泊れた。食事はほとんどレストランでとったが、8日間の滞在で渡航費と宿泊代を除き2万円以上使わなかった。結局、1,000ドルのトラベラーズチェックのうち800ドルを日本に持ち帰ってきた。100ドルをルーマニアの通貨レイに両替すると札束がきてしまう。だから、いつも30ドルずつ両替していた。1ドル=8,500レイであれば100ドルで85万レイになった。とにかく数字になれるまで、かなりの時間がかかった。とくにチップはいくらがいいのか皆目わからなかった。そして、なれたころに帰国となった。

ルーマニアは革命後、資本主義経済を導入するがうまくいっていなかった。中小規模の企業の私有化は進んだが大規模企業の私有化が後回しにされたためであるといわれている。隣国のハンガリーと比較すると経済力の差は非常に開いていて、ブタペストとブカレストを比較すると、はっきりと理解できると多くの人がいっていた。今はその差が縮まったのであろうか。

小山洋司編『東欧経済』(世界思想社、1999年)によると、当時、ポーランドチェコ、スロヴァキア、ハンガリースロヴェニアクロアチアでは、非共産党政権が成立し、市場経済移行が比較的速やかに進んでいた。それに対しルーマニアをはじめセルビアモンテネグロマケドニアブルガリアアルバニアといった南東欧諸国では、旧共産党系勢力が形を変えて政治の実権を握り続けており、市場経済への移行ははかばかしくなかった。

ルーマニアNATOにもEUにも第一ラウンドでの加盟は認められなかったものの、最終目標はこれらの組織に加盟し、名実ともに「欧州への回帰」を果すことであった。しかし、これらの組織に加盟すればすべてが解決するかのような理解は幻想であり、西欧への新たな従属という側面も見逃すことはできなかった。現実に多くの若者が母国を離れて他国へ出稼ぎに出ているという悲しい現実があることを忘れてはいけない。

このような背景を踏まえると、西欧の労働市場に東欧の安い労働力が流れ込み、失業問題や民族対立も含めて多くの社会問題がもたらされていることが理解できる。そして、EUという大実験の結果がどうも上手くいっていないことも頷けるかもしれない。個人的には、民族を超えた連帯という壮大な挑戦に緩やかな統合でもよいので成功して欲しいと思う。EUの成功はその後、ユーラシア大陸の統合にもつながり、東の果ての日本にも少なからず良い影響をもたらすはずなので。

「人種差別」は世界共通のことと割り切る

最近は多くの外国人が日本に訪れ働くようになった。以前は3Kといわれる仕事が多かったが、近年は外資系企業の日本進出のため、いわゆるホワイトカラーの進出が目覚しい。また、留学生が非常に増えてきている。これは日本人学生が海外へ留学することが減っていることに比較して顕著な傾向かもしれない。しかし、出身国によっては自費で留学するには物価も授業料も高く、とても住みにくいはずであり、日本の教育にそれだけの価値があるかどうかということも、また疑問でもある。でも彼らが日本で確実に学べることがある。それは「人種差別」である。

私が大学院生のとき、留学生会という組織のチューターをやっていたことがある。要は留学生の世話人で一緒に東京証券取引所を見学したり、工場見学をしたり、いろいろな活動をしていた。

あるとき台湾出身の張さんと学食で話をしていたとき、

「日本の不動産屋はとんでもない。広告看板に「ペットと外国人はお断り」と記載している。ペットと外国人を一緒にしている」

私は当時何もコメントもできなかったのを覚えている。ただ苦笑いするしかなかったと思う。

これと同じようなことをルーマニア人の友人クリスに言われたことがある。ある日本の国際都市と言われる街で温泉に入ろうとしたところ「外国人お断り」という看板を見つけたという。

「あの国際都市であの感覚だよ。日本人は外国人が日本に来て欲しくないんだよ」

「そんなことはないんじゃない。これからは日本人だけで組織された企業に未来はないはずだよ。だって自己変革もできないでしょ」

「日本人は経営が下手だよ。日本企業は外国人を採用しようとしないでしょ。能力があれば国籍なんて関係ないのに」

たしかに、日本企業の多くは外国人を採用しようとしない。日本人ですら就職できない時代だから、就職できないのも当たり前かもしれないが、国籍にこだわったりするのが日本企業の人事部だ。しかもその人事部といわれるところに所属する人は、日本企業のエリートといわれる人々だったりする。

「日本人の教養とはなんだろう?」

「…………」

ただ、ここで注意しなければならないのは、人種差別は世界共通の課題であることだ。

先日、イギリス在住の渡辺幸一氏が書いた『イエロー』(栄光出版社、1999年)には次のようにある。

「その文字は、電車の窓に、鋭利な刃物で刻まれていた。はじめは、何と彫ってあるのかすぐには分からなかったが、それは「JAP」の3文字であった。

「JAP」が、日本人の蔑称だとは知っていたが、もう死語に近いものだと漠然と思っていた。だから、この3文字を電車で見かけた時は驚いた。「JAP」は決して死語になったのではなかった。このイギリスで、同じ空間に生き、呼吸をしている誰かが、悪意をもってこの文字を彫りこんだのである。その事実が、私には衝撃的であった。

私が座っていた席は4人掛けで、私のほかには、2人の年配の紳士と1人の中年の婦人がいた。長さ10センチほどの彫りこみだから、その「JAP」の文字は、彼らの目にも触れていたようだ。私と向かい合った紳士は、ちらりと私の顔を見た後、おもむろに新聞を広げて顔を隠した。はす向かいの婦人は、私が指でなぞっている「JAP」の文字に気づき、少し驚いた表情で私を見た。そこに日本人らしい男が偶然に座ったことに、悲しむような表情を一瞬見せたがすぐ視線を移した……」

世界的な国際都市ロンドンでの話である。でも大切なのはすべてのイギリス人がこのような差別感情を日本人に抱いているわけではないということだ。日本人の一部に教養のかけらも感じさせない差別が存在するからといって、すべての日本人が差別的であるわけではない。それと同じでイギリスのある一面を見て、すべてのイギリス人が差別的であると判断するのはとても危険だと思う。「日本人はこうだから。イギリス人はこうだから。アメリカ人はこうだから」という議論はあまり好ましくない。「だからすばらしい」という議論ならまだしも「だからイギリス人はだめだ」という議論は避けたいように思う

「科学」よりも「直感」に頼ることも

少しずつ新型コロナウイルスがアジア地域の人にとっては、極論するなら鼻かぜ程度ではないかということが主張されてきている。井上正康『本当はこわくない新型コロナウイルス』(方丈社、2020年)も、上久保氏らの免疫獲得説にフォローするように、日本は弱毒型ウイルスのS型、K型のおかげで強毒型のL型、G型が欧州から入っても免疫獲得済みだったとする。また、公開されている膨大な論文を渉猟し、日本やアジアの国々では、土着のコロナウイルスが住み着いているので免疫獲得しやすかったとい仮説を立てる。そして、国境封鎖やロックダウンと緩やかな自粛を実行している国の100万にあたりの死者数が図表のように示されている。これをみれば明らかに思われるが、少なくとも都市封鎖しようが国境封鎖しようが、各国が実行した施策と死者数の間に因果関係がなさそうである。また、各国の死者数と人口密度を勘案すると、「3密回避」「接触8割減」「自粛」の効果はないといってよいレベルの結果になる。たしかに、東京の人口密度や満員電車を考えるだけでも、この数字では効果があるとはいえないであろう。統計や科学に対する素養がない人間でも、この数字をみれば直感で、少なくともアジア地域の人にとって、新型コロナウイルス死に至る病というほど恐れる必要はないといえる。

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ただ、科学者はエビデンスエビデンスがとかいうのだろう。しかし、素朴にこの数字が明らかなエビデンスにならないのだろうか。一方で40万人死亡説や10万人死亡説は本当にエビデンスがあったのであろうか。その数字を見て恐れをなした日本政府が誤った意思決定をして、多くの人々を経済的困窮に陥れているとしたら、本当に無念を感じざるを得ない。一点のみ日本政府のなしたことで良かった点は、入国制限が遅れたことである。そのおかげで中国からS型およびK型のウイルスが国内に入り、日本にいる人々の免疫が形成された。もたもたして意思決定ができなかった腰の抜けた日本政府による対応が、意図せざる功績をもたらしたことになる。井上氏の仮説を補足して述べると、台湾は国境が閉まるという情報が漏れた時点で、多くの人が中国本土から台湾に戻り、免疫が形成されているという。オーストラリアも白人がマジョリティでありながら死者数は極端に少ないので、これもアジア太平洋地域ということで地理的要因があることが推察できる。

このように科学的な分析による検証を積み重ねるのも必要なものの、かなり早い段階から、過剰な反応に対して警告を発していた医師もいた。長尾和宏『歩くだけでウイルス感染に勝てる!』(山と渓谷社、2020年)は、タイトルこそ大げさであるが、4月の時点で長尾氏の「町医者としての勘」として次の指摘をしていた。新型コロナウイルス結核SARSと同じ2類感染症であり入院が必要であるが、インフルエンザと同じ5類感染症にして発生動向の把握・提供に変更すべきである。そして、PCR検査の限界を知り、医療崩壊が起こらないように5類感染症にしてから希望者全員に実施したらよい。また、抗体検査が普及したら疫学調査が進み、アッと驚くような大どんでん返しがあるかもしれない。そして、隔離は身体機能が低下、認知機能が悪化となり、結果的に免疫機能が低下し感染しやすくなるという。そして、発想としては、新型コロナはかかっても仕方がない、死ななければいいと考える。ウイルスは人類の大先輩なのだからうまく付き合うしか手がない。気の弱い人は、コロナ報道など観ないほうがよい。ウイルスは紫外線で不活化するので、とにかく昼間の時間帯に歩くことがベスト、ということである。本当に「町医者の勘」は正しいように思える。

このような直感を得るには日々訓練が必要なのだろう。ヒンドゥー教ではチャクラを開くという。神智学ではアカシックレコードを読むともいう。最近のスピリチャルな世界ではハイヤーセルフに聞くともいわれるようになっている。いずれにしても理論全開で自分の頭だけに頼るよりも、直感に従うほうが正しいことがあったり、楽なこともあったりするのかもしれない。いわゆる五感以上の第六感を信頼する生き方がこれからの時代に沿っていると思われる。

「善悪の判断」を放棄することの快適さ

髙島清『バラータ』(郁朋社、1999年)によると、ルーマニア大統領チャウシェスクの時代、「ルーマニア人のような優秀な民族は、数が多くなくてはならない」というのが大統領の口癖であったという。人口を増やすことについては、チャウシェスクの妻、副大統領・エレナの方がより熱心だったともいわれる 。

目標達成のためには、どんな厳しい規制をも作って実行してしまうのが、チャウシェスク流である。女性は5人の子供を産むよう求められた。「妊娠中絶禁止法」が制定される。専門検査官が定期検診を行う。妊娠が認められると、当局がその女性を監視する。妊娠中絶は厳しく禁じられた。

しかし、国をあげての人口増加策も、たいして効果がなかったようだ。むしろ負の面ばかりが目立った。ルーマニアは食糧輸出やエネルギー節約で無理な対外債務返済を図る。こうして、暖房は乏しく食料は不足し、赤ん坊に与えるミルクも十分ではなかった。多くの妊婦が危険を覚悟でヤミの中絶に走り命を落とす。ルーマニアの幼児死亡率はヨーロッパ最高となり、孤児であふれ捨て子も増加した。

1989年12月、チャウシェスク夫妻の処刑により、悪評高い人口増加策はやっと破棄された。チャウシェスクに対し善悪を判断するとき、ほとんどの人が同じ結論を出すと思う。それは「悪」である。当時の政治を批判するのはたやすい。ましてチャウシェスク一人の責任にするのが、すべてにおいて都合がいいかもしれない。

しかし、第二次時世界大戦中のヒトラーに関して、ニール・ドナルド・ウォルシュ神との対話2』(サンマーク出版、1998年)において次のような議論がある。

ヒトラーは、何百万人もの人々が協力し、支援し、積極的に服従しなければ、何もできなかった。だからドイツ人と呼ばれる小グループは、ホロコーストの大きな責任を担うべきだ。しかし、ある意味では、人類という大きなグループにも責任がある。人類は、どんなに冷酷な孤立主義者でも無視できないほど惨事が広がるまで、ドイツ国内の苦しみに無関心で、鈍感だったからだ。ナチの運動を発展させた肥沃な土壌は、集合意識だった。ヒトラーはそのチャンスをつかんだだけだ。

驚かなければならないのは、ヒトラーが歴史上登場したことではなく、あれほど多数のものが彼と行動をともにしたことだよ。恥ずべきは、ヒトラーが何百万人ものユダヤ人を殺したことではなく、何百万人ものユダヤ人が殺されるまで、誰もヒトラーを止めなかったことだ・・・・・(中略)

たいていの人は適者生存で、「力は正義なり」で、競争が不可欠で、勝利が最高の善とされている世界で満足している。そういうシステムが「敗者」を生むとしても自分が敗者でなければ、それでいいと思っている。そういう世界では「間違っている」と判定された人は殺害される。「敗者」であれば飢えたりホームレスになったりし、「強者」でなければ抑圧され、搾取されるが、そんな世界でも、たいてい人は満足している・・・・・(中略)

毎年、何千人が飢え死にしようと、何百人が内戦で死のうと、暴君が地方を踏み荒らそうと、専制君主武装した、ならず者がレイプし、略奪し、殺人を犯そうと、政府が基本的人権を蹂躙しようと、残る世界は手をこまねいている。そして、あれは「内政問題」だという。

だが、あなたがたの利益がおびやかされれば、投資が、安全が、生活の質が危なくなれば、国家をあげ、世界を仲間に引き入れて、天使でも二の足を踏むような場所へ駆けつける。

そこで、あなたがたは大嘘をつく。「人道的な行動だ、世界の弾圧されたひとたちを助けるためだ」という。ところが実際は、自分の利益を守っているだけだ。その証拠に利害関係のないところには関心をもたない」

「正邪」に対する人の考え方は文化によって、時代によって、ひとりひとりの個人によっていくらでも変わるし、変わってきた。ある時代にはおおぜいの人が「正しい」と考えたことが、たとえば魔女だと思った人を火あぶりにするといったことが、現在は「間違っている」とされる。あるいは、十字軍遠征で聖地を奪還することが「聖戦」とされたことが、今の歴史学者には単なる「略奪」に過ぎないという評価もある。私たちは何と簡単に日常の生活の中で「善悪」「正邪」を判断してしまっていることだろう。この判断を日常から放棄し、あらゆる事柄を中立的に観察していけば、もっと快適な生活を送れるのかもしれない。私たちはこの判断のために、多くのストレスを溜め込んでいると思う。

企業に対するアカデミック・アドバイザー

ありがたいことに、自著の『先端的D&O保険』(保険毎日新聞社、2019年)で、2020年の日本保険学会賞(著書の部)をいただいた。日本保険学会というのは250名弱の研究者と500名強のその他大学関係者以外の人が会員になっており、社会科学系でもかなり古い伝統のある学会で、2020年には80周年を迎え日本最古の文科系学術研究会だとのこと。しかし、学会活動の活性化にはいろいろ苦労さているようであった。そして、オンラインであったが受賞のあいさつの機会があったので、一企業実務家として次のようなことを申し上げた。

「すでに産学共同のようなこともあるかもしれませんが、もう少し小規模なレベルでも連携を考えてよいと思います。たとえば、アカデミック・アドバイザーというのは学生に助言をすることをいうのでしょうが、企業に学術的な助言をするアカデミック・アドバイザーもあるかと思いました。」

社会科学系の研究者は現場で何が起きているのか知る機会が少なく、どうしても研究室における文献調査に研究の比重が置かれやすい。一方、実務家は日々の業務を回すのが精一杯で、現場の課題に対してじっくり検証する機会が少ない。実はこの両者が相互補完関係を築けば、社会の発展に寄与する提言ができる機会は多いはずなのだが、そのような場が少ないのが課題となる。

それでは、どのような連携の仕方があるのだろうか。ひとつ考えられるのは弁護士とおなじように顧問契約というのがある。情報のやり取りの中で企業の機密情報を扱うこともあるかかもしれないので、機密保持契約も結んでおいたほうがよいかもしれない。弁護士は弁護士法で守秘義務を負っているので不要であるが、研究者の場合は念のため必要であろう。もちろん、企業側から情報を出すときもできるだけ研究者の情報管理の負担を軽減するために不必要な機微情報は削除する、あるいは情報を客観化して提供するなどの工夫は必要であろう。

ただ、筆者の業務を考えても知的財産権などの取り扱いはないので、それほど機密性が要求される情報はなく、社会科学系についてはそれほど神経質にならなくても問題は発生しないと思われる。大事そうに秘匿しようとしているアイデアや情報に限って、それほどでもない情報のことが多い。そもそも、保険や金融ビジネスの場合は、ビジネス・モデル以上に、誰がそのビジネスを実行するかのほうが大切で、他社が真似をしようとしても、最初から緻密に事業化調査した人でなければ実行段階で成功しないことのほうが多い。よって、法学、商学経営学、経済学の分野では積極的に研究者との共同はしやすいといえる。しかも弁護士と違いビジネスを前提に考えなくても、研究者として研究素材が提供されると考えれば、顧問料などはかなり安価でも許されるであろう。組織の現場の部長クラスが簡単に決裁できる金額で十分ではないか。企業の規模にもよるが、年間10万円以下でも研究者にとっても企業にとっても十分価値のある情報交換は可能かと思われる。あまり巨額な予算を受け取り、研究者が企業の奴隷のようになっては元も子もないので。