スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

監視される側から監視する側へ移行しよう

未来の労働市場を考えたときに大切なキーワードとして「見える化」があると考えたことがる。労働市場も含めてあらゆる取引は、誰もがみえるようになる。ありとあらゆることに透明性が増し、物事を隠すことができなくなる。不正な取引や不公正な駆け引き、情報の非対称性を利用した搾取など一切できない社会がくると。とにかく今後は「見える」という性質が大切にされ、多くの人が納得いく取引が成立するようになる、と考えた。

しかし、現実の社会をみたときに「見える」という性質は監視社会と同一だとも思われた。私たちは管理され、監視される存在として生きていくのだろうか。現在、飲食店は徹底的に叩かれ、中小企業は再編して大規模化すべきという議論も盛んである。そうすると、世の中は大企業だらけになり、中小企業が存在することによる多様性などなくなる。多くの労働者は大企業で働くようになれば、社会経済が効率的になるのかもしれないが、一方で労働者は搾取の対象になる。

大企業が経済成長し続けるサインは、株価をみていてもイメージできる。ほったらかしで投資信託をやっている人がいれば、数年継続して元本が100万円の人でも、20万円程度の含み益が出ていることもあるだろう。元本が1億円の人であれば、2,000万円の含み益である。この2,000万円は不労所得なので、いかに富裕層がより豊かになっているか想像はつく。

しかも投資信託の投資先は上場会社である大企業なわけで、中小企業ではない。中小企業に未来がないとしても、大企業に未来があるということで、実態経済とかけ離れていはいるが、将来の大企業の業績を織り込んでの株高なのかもしれない。

このように、大企業はますます業績がよくなっていくかもしれないが、そこに組み込まれている労働者は、おそらく豊かになるよりも搾取されるであろう。これからの労働者はピラミッドの中にいても搾取されない方法を考える必要がある。しっかり学び、搾取されないスペシャリストになっておく必要がある。

また、大企業に所属するのが嫌な人は、独立するかもしれないが、単独では難しい。そこで、フランチャイザーになればよいという選択肢もあるが、コンビニのオーナー(所有者)になっても、今度はロイヤリティを本部に支払うことで搾取されることになる。このように、どう考えても世の中が監視社会化して、どんどんピラミッドの中に私たちが組み込まれていっているような気がしてならない。

しかし「見える化」の議論のように、すべての取引が「見える」ようになると、実は、監視される側にも、監視する側にまわれる可能性が出てくるかもしれない。すなわち、監視していると思っている経営者や資本家は、実は労働者からあるいは市民から監視されることになるわけである。そんなことが可能であろうか。技術革新が進んで、監視する側の予想を超えた進歩を遂げたときにはあり得るシナリオではないだろうか。透明で公正で一切の悪事は隠し通せない世界である。経営者や資本家が作ったスキームは完全に情報開示される社会である。すべてはディスクローズされることになる。

しかし、そのような一切不正ができない理想的な社会に到達する前に、一度、監視社会を通過するのかもしれないとも思った。今は間違いなく、人々が自分の人生や生活の選択権を奪われた状態になっている。飲食店の営業時間短縮の議論、マスク着用は義務か任意かの議論、ワクチンが任意か強制かの議論等、あらゆる選択権は私たちから奪われたような状況になっている。しかし「見える化」が進めば、今は傲慢に労働者や市民に対して指示を出している人たちは、監視される側に立たされることになる。

支配者はそんな不用意なことはしないと思うかもしれないが、それは私たち一人ひとりがどのような社会を望むかしだいではないだろうか。あきらめてはいけない。科学技術は人々がどのように使いたいかによって、その使われ方も変わってくる。まだ、表に出てきていないフリーエネルギーのような技術も実用化されるかもしれない。ポジティブな理想社会をイメージしながら日々過ごすことで、多くの人にとって理想的な社会の実現も夢ではない。できるだけ多くの人がそのことに気づいて目覚めることが必要なのではないだろうか。

慢性疲労症候群の原因はワクチンではないか

4月中旬から慢性疲労症候群になってしまった長男が、3か月以上高校に行けていない。原因が何か探しつつ、できる手はいろいろ打った。病院の医師も信頼できる方のようで、漢方薬など処方し上手く導いてくれている。

一般的に慢性疲労症候群の原因は不明であり、原因不明の病気には治療法もない。しかし、ここにきて症状が劇的に改善してきている。やったことといえば、EM・X GOLDという有用微生物を1か月程度飲ませた程度である。

このEMは、10年前の福島原発事故のときに、当時小さかった子どもたちを守ろうと必死で探したデトックス法であり、科学的エビデンスはないが、実績は出ているというもの。アンチEMの研究者からは痛烈な批判もなされていたが、人が幸せになるのにエビデンスはいらない思い、当時から飲みはじめて8年くらい続けたと思う。おかげで子どもたちも含めて、私の体調もとてもよかった。

そして、ここにきて慢性疲労症候群の原因らしきものがみえてきた。それは、アメリカ留学のために長男が短期間で打った次の5本のワクチンである。

・2020年11月28日:おたふく風邪ワクチン(mumps vaccine)

・2020年11月28日:不活化ポリオワクチン(inactivated polio vaccine)

・2020年11月28日:A型B型肝炎混合ワクチン(hepatitis A&B vaccine twinrix)

・2021年1月5日: A型B型肝炎混合ワクチン(hepatitis A&B vaccine twinrix)

・2021年1月5日: 髄膜炎菌ワクチン(Meningococcal conjugate vaccine)

それぞれの成分を調べることはできていないが、ワクチンの効き目を高めるために、アルミニュウム塩が添加されていた可能性はある。いわゆる、アジュバント(adjuvant)というラテン語の「助ける」という意味の機能で、ワクチンの効きを助けるためにアルミニュウムが添加されているのである。

崎谷博征『今だから知るべきワクチンの真実』(秀和システム、2021年)によると、このアルミニュウムはリンパ節や脳組織に蓄積されることが確認され、慢性疲労症候群を引き起こすことが知られているという。私たちは、鉄を含めて重金属の排出が苦手なため、アジュバントで使用される重金属は体内で分解されずに蓄積されていく。

崎谷氏は、湾岸戦争のときに多くのアメリカ兵が劣化ウラン弾による後遺症で苦しんでいたと考えていた。しかし、事実は違ったという。湾岸戦争に駆り出された兵士たちは、急ぎ大量のワクチン接種が行われており、湾岸戦争後遺症の原因はワクチンだったとのこと。兵士たちは短期間に炭疽菌、ポリオ、黄熱病、ジフテリア、百日咳、破傷風髄膜炎菌など複数のワクチンを接種させられていた。まさに兵士たちはワクチンの実験台になり後遺症で苦しんでいたということになる。

オーストラリアの湾岸戦争帰還兵では、実際に戦場に行かなかった兵士たちの方が、戦場に行った兵士よりも湾岸戦争後遺症に悩まされていたという。ということは、後遺症と劣化ウラン弾の因果関係はないことになる。それではなぜ、戦場に行かなかった兵士のほうが、戦場に行った兵士より、後遺症に悩まされたのか。その理由は、戦場に行かなかった兵士の方が、ワクチン接種回数が多かったということである。

さらに、中東以外の他の地域で任務にあたった兵士たちも、ワクチン接種者と非ワクチン接種者の間で、前者が有意に高い湾岸戦争後遺症の発症率を示しているという。このように、慢性疲労症候群のように頭痛とめまいが長期間継続する病気の原因にワクチンを疑ってみることができる。

当時、父親として子どもがアメリカ留学できるということだけで満足し、ワクチン接種を含めてその後の手続きに無頓着であった。本来であれば、本当に強制接種なのか、あるいは任意接種ではないのか、接種しない例外的措置はないのか調べるべきであったと思う。しかし、もう接種済みなので後悔しても遅い。これからはデトックスに注力していかなければならない。

コロナ・ワクチンの副反応で苦しんでいる人も多いようであるが、デトックスには、EM・X GOLDのほかに、漢方の板藍根(バンランコン)をあげておきたい。中国では板藍根を煎じたお茶を飲ませたり、お茶でうがいをさせたり、のどにスプレーしたりしている。風邪・インフルエンザ・耳下腺炎・扁桃腺炎・手足口病ノロウイルスロタウイルスなどによる感染性胃腸炎・肝炎ウイルス・肺炎・髄膜炎・丹毒など、様々な感染症の予防と治療に用いられている。簡単にいうと解毒効果があるようである。

これらの方法に科学的エビデンスはあるのか、と問いを立てる人もいるであろう。ただ、実績が出ているのであるから、私はそれがエビデンスであると考えている。実効性があるのであれば、それを試してみて自分で確かめるということで十分であろう。もしそれができない人がいるのであれば、その人は他の方法を探せばよいだけのことである。

 

「ディープステート」の挑発に乗らない

2021年7月、とうとうフランスが医療従事者に対するワクチン接種強制とレストラン等の公共の場でのワクチン・パスポートを導入することを決めた。そのことを発表するマクロン大統領の演説は非常に冷たく、ハートがあるとは思えない、まったく共感できないものであった。そもそも、彼はパンデミックの当初から「これは戦争である」と人々の恐怖を意図的に焚きつけていた点、私には違和感のある人物であった。

このような状況になってしまったフランスであるが、1789年フランス人権宣言はどこにいってしまったのであろうか。第1条は次のように規定する。

第1条(自由・権利の平等) 

「人は、自由、かつ、権利において平等なものとして生まれ、生存する。社会的差別は、共同の利益に基づくものでなければ、設けられない。」

コロナワクチンを打たない予定の私にとっては、当分フランスには行けないであろうし、フランスという国の気持ち悪さから、今は行く気になれない。フランスの家族、親戚、知人の反応も、どちらかというと「仕方がない」というのが本音のようで、表立って反対を表明する人は、少なくとも私の知る限りいない。むしろ、デモなどで権力に抵抗する人々に対して批判的に距離をおいている人が多い。

なぜだろうか。フランス革命に由来する「自由、平等、博愛(Liberté, Égalité, Fraternité)」は完全に消え去った。ワクチンを打たない、あるいは打てない人々がどれだけ傷ついているのか、想像できないくらい、フランス人全体は追い詰められているということである。これはフランス人だけに限らず、ヨーロッパ人全体が同じ状況であると考えてよいであろう。

冷静に考えてみると、人々をここまで追い詰めるためには、過去から周到な準備と段階を踏んだ仕掛けが必要であったのではないであろうか。フランスを苦しめた大規模テロ、大量の移民・難民の流入、毎週のように繰り広げられるデモの暴徒化など、人々を疲弊させるイベントは次々と起こされた。

まるで憲兵隊の取り調べで拷問を受け、嘘でもいいから自白すれば楽になるという段階まできていたのではないか。しかも、冷静に考えれば、大規模テロも、移民問題も、デモの暴徒化問題も、すべて仕組まれたものと考えることもできる。どの事象も潤沢な資金があれば意図的に起こすことはできる。ただし、証拠をつかみたいが、当然ないので私の仮説でしかないことは認めざるを得ない。

ただし、デモのときにEU各国からまるで専門職のように暴れる暴徒は、強力な財政的な支援がなければパリに集まらない。大規模テロもイスラーム原理主義の信条だけでは起こすことはできずに、大量の武器と警備が厳しいパリにおける緻密な作戦には莫大な資金が必要である。大量の移民を海と陸を通じて移動させることにも財政的なサポートが必要なのは間違いない。そのお金はどこから出ているのか。

ワクチン・パスポートの問題も、ワクチンは安全でパンデミックを終わらせるためには絶対に必要であるという専門家の見解と、ワクチンは危険で人々の健康や命を危機的状況に陥れるという専門家の見解の出所は同じということはないだろうか。対立を惹起するには、意図的に正反対の情報を流すということは非常に有効なはずである。

対立の中にある人々は疲弊してしまい、思考も感覚も麻痺し、直感なども全く働かなくなった。そのステージまで来た段階で、医療従者へのワクチン強制接種とワクチン・パスポートの導入である。

私は、人々を分断し疲弊させることで、権力者の指示を国民が100%受け入れられるまで続くこの挑発に乗ってはいけないのではないかと感じる。今のフランスは、いくつかの反対デモが発生しているものの、総じてあきらめる、あるいはむしろ権力に従うほうが正しいのではないかという思考にまでたどり着いた。私ができる唯一の抵抗は、人権侵害であるワクチン・パスポートが解除されるまで渡仏しない、ということぐらいしかできない。そして、挑発に乗らずに踏みとどまるということくらいである。

一部で、陰謀説に対して鼻で笑ってバカにする雰囲気もあるが、ディープステートは存在しないという証拠はない。むしろ「火のない所に煙は立たぬ」であり、一部の人はその存在を指摘する。私はどちらでもいいと思うが、自分の自己決定権に干渉させないだけの毅然とした意思表示はしたいし、少数派や弱者の人権を蹂躙する権力者に対しては従いたくはないと思う。アメリカの共和党が主導する州では、ワクチン・パスポートは違憲とされた。イスラエルのワクチン・パスポートも解除されたようである。フランスも方向転換されることを祈りつつ、今後の行方を見守りたいと思う。

 

ワクチンを打たない少数派を守る憲法

日本においてワクチンの強制接種やワクチン・パスポートの導入は不可能だと思われる。日本国憲法のもとに、1948年予防接種法が制定されているが、当時は予防接種法3条において予防接種が義務規定になっており、1項には「何人も、この法律に定める予防接種を受けなければならない」と規定されていた。

しかし、予防接種強制制度のものとで実施された予防接種で、多くの被害者が出たことに伴い、複数の訴訟が提起され社会問題化するに至り、1976年の法改正によって、予防接種受けなかったことによる罰則規定は削除された。さらに1994年の改正では、義務規定は努力義務規定へと修正されて現在に至っている。

ワクチン強制接種やワクチン・パスポートの導入を正当化する場合、昔の予防接種法のように義務規定に法改定しなければならないが、竹中勲「予防接種強制制度の合憲性と予防接種健康被害に対する憲法上の救済権」同志社法学会60巻5号(2008年)によると、旧予防接種法のもとでの予防接種強制制度は憲法13条に違反し、違憲であるとする。すなわち、予防接種を受けるか受けないかを含めて、あらゆる人生や生活に関する選択については自分に決定権があるということであり、その根拠となる条文が次のとおりになる。自分のことは自分で決定するというあたりまえのことである。

憲法13条

「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

一方で、集団免疫を獲得するためにワクチンが必要なのだから、公共の福祉のためにも正当化される、あるいは予防接種を受けないことは他者を加害することになるという論法もあるかもしれないが、かなり厳格な司法審査を経なければ、そのようなことは正当化できないであろう。そして、医学の専門家の間でもそこまで過激な主張は出てきていない。

以上のとおりワクチン接種をしたくない人々は、確実に憲法で守られている。しかも、少数派となっているワクチンを接種しないことを選択した人たちは、この憲法を今こそ活用すべきときかもしれない。なぜなら偶然手にした馬渕睦夫『ディープステート』(ワック、2021年)に、日本国憲法はドイツのワイマール憲法をそのまま取り込んでいるという指摘がある。しかも、少数派であったユダヤ人を保護するために多くの人権保障が詳細に規定されている。

たしかに、ワイマール憲法を起草したのは、ユダヤ商人の子として生まれた法学者であり、基本的人権の規定は緻密である。たとえば、次の条文を読んでも、たしかに日本国憲法に取り込まれた形跡はある。

憲法14条 

「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」

ワイマール憲法109条

「①すべてドイツ人は、法律の前に平等である。

②男性と女性は、原則として同一の公民的権利及び義務を有する。

③出生又は門地による公法上の特権及び不利益取扱いは、廃止されるものとする。」

ということは、少数派を厚く保護するために規定された憲法は、時代を超えて今のような状況にこそ活用されるべきということになる。立法当時は、そのようなことを想定していなかっただろうが、少数派に利のある法律である。

自分が専門の保険約款解釈でも、約款を作成した当事者、そして約款に基づき契約した当事者が、まったく想定していなかった事象に対して、驚くような理屈で約款が機能することがある。そんなつもりではなかったのに意外な解釈ができ、想定外の結果をもたらす場合である。そういう視点で考えると、ワイマール憲法を範とした日本国憲法も、当初は想定していなかった形で、現代の少数派の人々を守る可能性はあることになる。いずれにしても、法律も人間が起草するものであり、想定外のことはどんどん生じる。だから結論は簡単に出ないし、人々は揺さぶられる。揺さぶられながらも人生を楽しむことができれば、次の時代を楽しく知恵が身につくのではないだろうか。

日本も避けて通れないダイバーシティ

ダイバーシティと企業の業績に相関関係があるのかどうか興味深いところである。アメリカのあるコンサルティング会社の分析によると経営者の性別のダイバーシティが進んでいる上位25%の企業と、ダイバーシティが進んでいない下位25%の企業を比較すると、上位25%の企業のほうが明らかに業績がよいという結果が出ており、次の図表をみても年々その傾向が顕著になっている。2019年の例でこの棒グラフが示すものを説明すると、企業業績の中央値50に対して、上位25%の企業は55の業績を出しているということ。

比較的わかりやすい示唆としては、男性だけの取締役会よりも女性がメンバーとして参加している取締役会のほうが、会社の業績につながるよい経営判断ができることになる。

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ちなみに、この業績にはEBIT(Earnings Before Interest and Taxes、イービットと読む)という財務分析上の指標が使われており、税引前当期純利益に支払利息を加え、受取利息を差し引いたものになる。

さらに、民族や文化のダイバーシティは、性別以上に企業業績によい影響を与えることが次の図表から明らかになる。2019年の民族ダイバーシティの場合は、上位25%の企業が下位25%の企業よりも36%も業績がよいことになる。取締役会の構成について性別を意識する以上に民族や人種の構成に配慮すると、会社の業績がより良くなるということであろう。

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たしかに、取締役会に女性が加わることのメリットは、女性が消費者の購買行動や需要、そしてそれにこたえようとする機会を理解するという点があげられるのかもしれない。あるいは、異なる民族や人種の視点から大きな気づきや、自分の経験では得られなかった知見を獲得できるのかもしれない。

しかし、ダイバーシティが進んでいる企業の業績がよいのか、業績のよい企業がダイバーシティに取り組む傾向があるのか、どちらが先なのかは正直はっきりしない。実際、過去のいくつかの実証研究から、性別、民族、年齢等のダイバーシティが業績に与える影響はない、あるいはむしろ悪影響がある一方で、職務経験や教育経験等のダイバーシティは企業業績にとってプラスの作用が働く傾向があるという見解もある。

たしかに、性別、民族、年齢等に意識が向いている限り、それ自体が差別意識潜在的にあるのではないかともいい得る。純粋に職務経験や教育経験を基に組織を多様な人材で構成することで、最高のパフォーマンスを達成できるということもあるかもしれない。その結果として、性別、民族、年齢もある程度多様化した組織になっているということも起こり得るであろう。どちらを主眼にダイバーシティを目指すか、それは組織によって異なるのかもしれない。

いずれにしても、高齢化や少子化の影響はすさまじい勢いで、私たちの社会に迫ってくる。女性であろうが男性であろうが、あるいは高齢者であろうが、若年者であろうが、外国人も含めて国を回していかなければならないわけで、ダイバーシティというのは避けて通れないテーマである。私は、多様性のある社会や組織が好きである。自分の知らない世界がみれるし、気づきも得られるので、欠点より利点のほうがはるかに大きい。

 

ワクチン義務化の議論は人生の選択を促す

 アメリカにおても4月以降、ワクチン接種のスピードが鈍化しだしているようである。やはり春以降に世界的な流れが変わっているのではないだろうか。もちろん、マスメディアはそのような事実を積極的には報道しないが。

BBC News US & Canada, Vaccine hesitancy: Your job or the jab? 2nd July 2021 によると、アメリカの病院の医療従者が、ワクチン接種を拒否して、雇用主に解雇されている。連邦政府は労働条件にワクチン接種義務を入れることを合法としている一方で、共和党が知事の一部の州では違憲としている。州によって対応が割れだした。

たしかに、雇用の条件に自動車免許を要求したり、ある資格を要件とすることがあるので、ワクチン接種という条件も「契約自由の原則」の範囲内かもしれない。しかし、雇用差別ということで、雇用主を訴えることは可能であり、アメリカでは実際に不当解雇の訴訟が提起されている。日本であれば、民法90条のような私法の一般条項である公序良俗違反に憲法14条1項に定める平等の趣旨を取り込んで解釈することで雇用主を訴えることが考えられる。

民法90条 

「公の秩序又は善良の風俗に反する法律行為は、無効とする。」

憲法14条1項

「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」

Fox 42, Can your employer fire you if you don't get the COVID-19 vaccine? 8th May 2021 に掲載されている弁護士の見解は、労働者はそれほど心配する必要はないということ。なぜなら、良識のある雇用主は、ワクチン接種をしない25%の従業員を解雇するなどという愚かな判断はしないであろうと。ちなみに、アメリカの一部の地域では全人口の25%の人がワクチン接種をしないことを決めているようである。

しかし、冷静に考えてみると、人々はどの企業を選択するのか、どこで暮らすのか、自分で選択する機会が与えられたと考えることもできるかもしれない。すでにいくつかの企業で、パンデミックが落ち着いているので、在宅勤務から職場に戻るように指示が出て、それに対して拒否をする動きが出ている。いよいよ経営者も決断が必要な状況になってきており、次の時代を生き抜く組織づくりを考えなければならないようである。

想像するに、ワクチン接種の指示に静かに従う従業員だけの企業と、自分の頭で考えて判断し、ワクチン接種しないと決めた従業員のいる企業では、明らかにダイバーシティの観点でも、後者のほうが革新的な事業をする企業になることがイメージできる。そのうち、統計をとってみたらよいと思う。ワクチン接種を義務化した企業とそうでない企業の業績を比較すると、おそらく義務化しなかった企業の業績のほうがよいという結果が出るであろう。少なくとも経営陣の属性で、性別や人種が多様な企業の業績がよいという実証研究はある。よって、ワクチンの観点でもダイバーシティは大切なのだと思う。

ワクチン義務化の議論は、人々や経営者に選択を迫っているのかもしれない。あなたはどちらの道を選ぶのかということを。少なくとも選択肢がある社会が健全であるのは間違いないであろう。ワクチン接種しない人は「バカだ」といいきれる社会はなんとつまらないことか。

アラブとイスラーム、そしてグローバリゼーション

『一市民の「コロナ終息宣言」』(アメージング出版、2021年)の読者の方から誤りのご指摘をいただいた。読者といっても知人なのだが、それでもありがたい。内容の記述の中にトルコのイスタンブールのことを「アラブの端っこ」と表現した部分があった。それについてトルコはアラブではないとのこと。そのとおりである。トルコは「イスラームの端っこ」であり、アラブの端っこではない。書物を通じて理解していたものの、文章にして運用する段階で、その知識は抜け落ちた。

アラブというのは、アラビア語を話す地域のことであり、その点、明らかにトルコはアラブ世界ではない。トルコではトルコ語が話されているし、イランではペルシャ語が話されているので、独自の文化圏があるということになる。

日本のように一国で一国語の国に住んでいると、中東のような複雑な背景のある地域のことはなかなか理解できない。距離的に遠いということと、イスラーム文化圏に関する情報の少なさや馴染みのなさから、ますます誤った認識を持ってしまう。しかも、トルコという国一つとっても、言語は複数存在しているという。

その辺の事情は、小島剛一『トルコのもう一つの顔』(中公新書、1991年)に詳しく記されているが、クルド語やザザ語などが存在し、それぞれ方言というレベルの違いではなく、相互理解は不可能ということである。今のトルコ政府は、国内に複数言語が存在していることを隠したがるようであるが、13世紀末から19世紀初めまで続いた、オスマン帝国自体は最後まで公用語を持たずに、広大な地域に版図を広げるものの、それぞれの地域の言語も尊重する緩やかな統治を目指していたようである。

イランも同じようにペルシャ語だけでは理解できない世界がある。19世紀に世界を股にかけて活躍したイラン人のビジネスマンの逸話が、坂本勉『イスタンブル交易圏とイラン』(慶應義塾大学出版会、2015年)に出てくる。その商人は通称ハーッジ・サイヤーフと呼ばれ、本人が旅行記も執筆して英訳もされている。そして、サイヤーフはテヘランの北東に位置するアゼルバイジャンに近いタブリーズに着き、現地の商人たちと親しくなると、これまで自分が使ってきたペルシャ語が同じイランでもほとんど通じないという現実に愕然としている。そして、旅を続けていくにはアゼルバイジャントルコ語アルメニア語の知識が絶対に必要だということを痛感させられたということである。

なんだか知らいない世界のことを知ることはワクワクする。世界がグローバリゼーションのおかげで英語だけで生きていける、あるいはビジネスができるなどといわれるが、現地の言葉や文化を学ばないということは、ビールの泡だけ飲んで、ビールを味わったといって胸を張るようなものかもしれない。

それにしても、トルコとイランをみるだけでも独自の文化や言語が存在しているようで興味深い。今年の夏はイスタンブール経由でフランスへ行こうと思っていたが、結局、トルコ航空のフライトがキャンセルになった。その他、いろいろ想定外のことも起き、結局、2年連続渡仏をあきらめることにした。しかし、そもそも行きたかった国はトルコではなくイランだったことを考えると、それはそれでいいのかもしれない。イランへの渡航歴があると、出張でアメリカに行く際に、査証の手続きが煩雑になるという事情もあるし、イランへのフライトが面倒な経路だということも手伝って、トルコになったが、最初の思いは大切にしたほうがよいのだろうか。

トルコとフランスの政治的緊張は続くし、イランの大統領が変わるが、アメリカとの仲も劇的に改善することはないであろう。コロナ禍で右往左往の世界であるが、国ごとの紛争や摩擦は一向に減る兆しがない。しかし、世界は間違いなく新しいステージに向かって進んでいると信じたい。今は生みの苦しみの時期であり、好きなときに好きな国へ旅ができる日がすぐそこまで来ていることを夢みたいと思う。