職人的生き方の時代

自分だけの生態学的ニッチで生きる

昭和の重たい時代には戻らない

この写真の方は、長崎県高島炭鉱労働組合書記長です。1986年に閉山しておりますが、最後の書記長ということですね。彼は残務整理を終え、北海道の仲間と会った後、雲仙にて自らの命を絶ちました。彼にとっては仕事が全人生だったのでしょう。

実はこの写真の出所は、鵜沼享『REMEMBER TAKASHIMA』(忘羊社、2015年)の1ページになります。軍艦島へクルーズ船に乗って上陸した後、株式会社ユニバーサルワーカーズが運営する軍艦島デジタルミュージアムで見つけてものです。その場で購入することはなかったのですが、買いそびれたと自宅に戻ってから後悔し、その後同社に連絡して取り寄せ購入いたしました。それぐらい私にはインパクトがあったということです。

私は昭和の時代に働いたことがありません。1993年に社会人になった時はすでに平成です。ですから昭和時代の働き方を知らないといっていいでしょう。昭和天皇崩御した時は、大学3年生でした。ですから平成の働き方しか知らないということです。

しかし、私の20代では昭和の働き方は強く残っており、上司や先輩は明らかに昭和の価値観で生きていたと思います。長時間労働がある意味で格好良く、上司に気に入られるための必須要素です。また、休日のゴルフやマージャンなども重要な要素だったのではないでしょうか。今考えると残された家族がよく我慢していたと思います。それでよく働いたと悦に浸っていた印象です。

ある時、上司が飲みに行こうということでみんなを誘ってくれました。そしてオフィスを出て飲み屋街に向かう時に、同業他社のオフィスの電気が煌々とついていました。そして上司が一言、「今日は負けたな、、、」といいました。何を競っていたのでしょうか。まったく理解不能です。私でついていけないと思うのですから、私より若い世代はもっと理解できない一言でしょう。

話を元に戻しますが、高島炭鉱労働組合の書記長も、今であればいくらでも選択肢があり、自殺に追い込まれることもなかったかもしれません。転職のためのリクルーターが、寄って集って彼に次の仕事を提案したと思います。そう考えると単線のキャリアしか考えられなかった昭和に比べれば、令和はあらゆる可能性が広がっているといえます。もう昭和の奴隷制には戻らないことだけは確かでしょう。