職人的生き方の時代

自分だけの生態学的ニッチで生きる

「選択と集中」は間違っていたかもしれない

最近、酒井敏氏の考えに共感しています。酒井氏の『京大的アホがなぜ必要か』(集英社新書、2019年)によれば、学術の世界でもビジネスの世界でも「選択と集中」は誤りではないかといいます。カオス理論によるとこの世の中の事象は予測不可能で、どんなにコンピューターが発達しても長期的な天気予報でさえ正しい答えを出せないといいます。

私たちは常に物事を原因と結果で考えます。しかし偶然のなせる技が非常に多いのがこの世なのだそうです。ですから戦略的に特定分野に経営資源を配分するビジネスでも、その分野が成長しなかった場合に、次の手が打てなくなります。だから「選択と集中」などせずに、分散させておいた方がよいということのようです。

学術に世界も既存の分野を深く研究していく「選択と集中」型と、一発逆転ホームランが出るような分散型の研究があるそうです。どちらも必要にもかかわらず、文部科学省は「選択と集中」という戦略をとってしまいました。その結果、手っ取り早い研究で成果を出し、論文を何本も出していくことがよいということになり、大胆な研究や突飛な着想のユニークな研究がなくなってしまいました。

私自身も専門職人材になるために、特定分野に集中して、自分の力を注いできました。その結果、仕事でも研究でも一定の成果を出せたと思っていますが、結局イノベーションといえるような大きな成果は出せていないと思います。もっと発散型でいろんなことに手を出して、まったく関連性がない取組みが、どこかでつながりイノベーションを起こすようなことをしておけばよかったのかもしれません。ですから、本記事のタイトルを「間違っていたかもしれない」としているわけです。

よって後悔しないように、今は何の役に立つかもわからない勉強や仕事上の取組みもするようにしています。人脈も役に立つ立たないで判断することなく、とりあえずご縁があればお会いしておくというように、あまり戦略的なことは考えないようにしています。そうすることで気楽になるし、何か化学反応が起きてイノベーションが期待できるかもしれないとワクワクできるので、精神的にもとても安定します。

生産性や効率性を意識してばかりの人生では疲れます。一度しかない人生、多くの無駄と余計なことをしながら、自分の中に起きるイノベーションを期待しつつ生きていこうと思います。酒井氏のような優秀な研究者が、結局未来なんてわからないんだ、といってくれていることは、私たち凡人にとってはとても安心できる材料だと思います。