めずらしく、学士課程と修士課程で在籍していた大学の校友会に参加してみました。実は、自分が20代の頃に一度だけ参加し、その参加者の年齢層の高さに圧倒され、その後参加することはありませんでした。
しかし、55歳になったいま、さすがにそのような違和感はないのかと思い参加してみましたが、引き続き自分は若手の上位10%には入っている様子。明らかに校友会というのは、リタイヤした高齢者のたまり場なのだと思いました。来月は博士課程で在籍していた大学の校友会なので比較するのも興味深いでしょう。
校友会に参加してみようと思ったきっかけは町内会の役員を務めることになり、そこも高齢者のたまり場で、まったく自分の知らない世界を発見できたからなのですが、約30年ぶりに参加した校友会でもいろいろと発見がありました。
私が在籍していた私立大学は、少子化の中にあって比較的経営がうまくいっています。ただし、昨年あることがきっかけで自分の子どもには進学させたくない教育機関だと思う出来事がありました。
それは、図書館を利用しようと思い、大学のキャンパスを訪問したところ、警備員に呼び止められて入れてもらえませんでした。その後、わざわざ警備室の前で記帳させられ、やっと構内に入ることが許されたました。パンデミックはとっくに終息していたにもかかわらずです。
聞くところによるとセキュリティの問題だということ。このような大学の姿勢は管理強化につながり、学問の自由や言論の自由などを奪う端緒となり得ます。実際に数年前に学生がある教授を批判する立て看板を出したところ、大学側に強制的に撤去され、身柄を拘束されるという事件が起きています。
大学の管理強化が学問の自由に危機をもたらす件は、拙著『学び直しで「リモート博士」』(アメージング出版、2023年)の後半でも論じましたので、ここでは割愛しますが、自由を奪う組織は、大学であろうが企業であろうが、長期的な発展は望めないと思っています。そういこともあり、3人の子どもの進学先としては勧められないとそこはかとなく思っていました。
そして今回、何人かの方とお話して、このような管理強化の流れができているのは十分過ぎるほど理解できました。法人としてはコスト削減を進め、学長やその他要職は、法人の言いなりになる人を選出する体制を整える。そうして、財務諸表上は立派な経営をしていますという発信するすることで、大学のガバナンスが利いているように見せかけるのでしょう。
たしかに、私が在学している頃、著名な政治家が経営に参画しており、その後、政治屋や役人が組織に入ってくる流れができたのかもしれません。文部科学省とのパイプもできれば各種の財政的な支援も得やすいことでしょう。しかし、今の経営がうまくいっているようにみえても、将来もうまくいくとは限りません。政府への依存は、大学の自治が奪われることになるし、カネの切れ目が縁の切れ目で、無い袖は振れない時代も来るかもしれません。
結局、割りを食うのは学生や教員たちです。法人が作った鳥かごの中で育った彼らが大物になることはありません。指示待ちの兵隊をいくら量産してもこれからの時代に活躍の場はないわけです。大手企業に何人就職させましたというのも立派な実績なのでしょうが、自分で事業を始めて成功しましたということの方が大切な指標になる時代でしょう。
そういう意味で、私立大学といえども公金が入っているわけなので、開かれた大学というのであれば、物理的にも開けれているべきなのです。大学の内部はカオスで一見無秩序であるぐらいがイノベーションも起きやすいことでしょう。
私が発言したところで何も変わるわけではありませんが、一卒業生として校友会に参加して得た気づきを述べました。ただそれだけですが、大学のガバナンスとはそういことだと思います。多くのステークホルダーによるモニタリングによって統治されるものだと。
ちなみに、開示資料によると当該大学理事長の年俸は1,850万円です。3名の常務理事は1,700万円。学生たちは自分の親が支払っている学費を考え、彼らがそれに見合う働きをしているのか評価していくべきでしょう。当然親も。