職人的生き方の時代

自分だけの生態学的ニッチで生きる

資本主義の終わりから相互扶助経済へ

バブルが崩壊し、資本主義が終焉を迎えた先に何があるのでしょうか。そもそもそうなるかも確かではありませんが、そちらの方向に向かうと考えてもいいように思います。そして、資本主義ではない世界を想像するのは難しいですが、私たちの生活がある日突然なくなるわけでもなく、何の変哲もない日常は続くのでしょう。

私が今考える資本主義の次の社会は、相互扶助経済や等価値交換経済という概念で整理しています。お互いが不足するモノやサービスを提供し合い、それでバランスが取れている社会です。その理念型社会が到来するのは、千年後かもしれません。でも世の中は今からそちらの方向に進むと考え、自分の生き方もそれに沿って変容させています。

ここではどちらの用語が良いかわからないので、一般的にわかりやすい「相互扶助経済」という表現に統一しておきましょう。このシステムの中では、ある人からモノやサービスを購入したとしてもお金を支払いません。

ただし無償というわけではなく、いつか相手が必要としているモノやサービスを提供します。よって、相互扶助経済の中では、お互いやモノやサービスをお金という機能を通さず融通し合って、トータルで貸し借りがなくなる状態で安定します。

そのようなことが実現可能でしょうか。今の資本主義であれば不可能です。情報の非対称性を利用し、詐欺のギリギリのところで金儲けをする世界では無理です。あらゆる取引に透明性がないので、相手がどれだけ儲けて、自分がどれだけ損したかもよくわかりません。

しかし、ブロックチェーンの技術などが発達し、あらゆる取引が透明になり、すべて見える世界になればお互いの貸し借りが明らかになり、お金を介さない取引が可能になるでしょう。誰に借りがあり、誰に貸しがあるのかわかれば、お互い貸し借りをなくそうと経済活動をするようになるからです。

私は経済学については門外漢です。ここで記述した内容も学術的根拠があるわけでもありません。でもこの資本主義の行き詰まり感や限界を観察していると、資本主義の次の世界が相互扶助経済へと移行していくのではないかと思うわけです。

よって、人に提供できる特技を磨くというのは大事なことであります。人から欲しいと思われるサービスを提供できる。嘘や騙しは一切なく、自分の技能を正当に評価してもらって購入してもらうということです。

今はお金を支払ってもらう必要があるのでしょうが、千年後は100%理念型で、お金を介さず自分の職人技を提供することになります。その点、相互扶助経済では「誠実である」ということも重要な要素になるのでしょう。自分のことをごまかし続けて技能を買い続けてもらうことはできないからです。