職人的生き方の時代

自分だけの生態学的ニッチで生きる

等価値制度に向けた働き方

これから労働者はスペシャリストになっていく。雇用形態も多様になり、今までのように労働者が会社と労働契約を締結する形態と、個人事業主として業務委託契約を締結する形態の間に位置するような複合的な契約形態も出てくるかもしれない。いずれにしても旧来型の労働者からスペシャリストになった人は、会社と一対一の対等な当事者として契約を締結するようになる。また、一つの会社に所属するというよりも、自分の経験や知見、ノウハウを社会に提供するような働き方が一般的になる。

SFの世界の話のようであるが、ある星の生命体の進化した社会経済システムについて、坂本政道『激動の時代を生きる英知』(ハート出版、2011年)に記述されている。その進化した経済システムは「等価値制度」という。

その星の住人は、必要なものがあればスーパーに入って必要なものを必要なだけカゴに入れ、そのままスーパーを出る。お金を支払う必要はないという。そして、今度は自分のところに誰かが来て、自分が提供できるサービスを求めてきたら、そのサービスを無償で提供する。等価値制度と呼ばれる仕組みでは、みなが自分の提供できるサービスを必要とされるだけ無償で提供することで成り立つことになる。それぞれが自分の提供できるサービスをわかっていて、お互いが助け合う社会である。

このような社会経済システムが、すぐに地球上で実現するということではないが、等価値制度というシステムは今後人類が向かう方向であろう。このとき人々の能力や専門性は、みえる化されるわけで、現在の地球上においては、誰もが自分ができること、貢献できることを表明できなければならない。遠い将来には、自己アピールすることもなく、お互いがお互いのことをテレパシーで理解し合えるような世界もあるのかもしれないが、われわれが生きている間の時間軸で考える限りは、何かしら能力や実績のみえる化は必要になる。

今までの会社人間のように、いわれたら何でもやりますではなく、私はこれができますということを開示する必要があることになる。しかも人によって能力も性格も得意とする業務も違うのであるから、本来は競争することなくお互いが補完し合って世の中に価値を提供していけるはずなのである。しかし、今の経済において競争は善であり、怠惰は悪であるとされ、自由競争を通じて生産性を上げて技術革新をもたらすことができると信じられている。でも前述の等価値制度を前提に考えたとき、本当に競争は必要なのか? ということになる。

これからは仕事についても教育についても、それぞれの違いを生かすやり方が主流にならざるを得ないであろう。みなが同じことしかできなければ相互補完できずに競争で疲弊するからである。学校も30人くらいの生徒が同じ教室で授業を聞いて同じ試験を受けて評価されるというのもナンセンスになってくる。

仕事もそれぞれの得意な技術を磨いて、お互いが協働することで最高のパフォーマンスを引き出すことが大切になるであろう。企業の組織も軍隊型や官僚型のピラミッド構造は、現場の情報がトップまで届くのに時間がかかりすぎるので、現場に近い人がリーダーとしてプロジェクトを動かすような時代がくるであろう。テーマによってリーダーになる人は変わるので、いわゆる管理職というものは消える。

これからは、仕事についても教育についても自分のキャリア・プランも受け身ではなく、自分で積極的に動いていく必要がある。今までは会社が提供してくれる仕事をこなし、研修を受けて終わりであったものが、自分で自分のキャリアを計画的に設計していくようになる。

私の場合、30代半ばでスペシャリスト職という職種を選び、その後、所属した会社や雇用形態に変化はあったものの常にスペシャリストであることを意識し、人と競争しない分野で生きるように心掛けた。いつでも成功し続けたなどということはないが、一ついえることは非常に心地よく楽しい働き方ができているのではないかということである。他の働き方と比べれば競争というものにさらされていないように感じられる。

他者とは居場所をずらして黙々と、そしてひっそりと情熱をもって働き、常に他者との協働で何か成果を出せないか考えていくのは楽しいものである。会社への帰属意識以上に社会への帰属や貢献を意識しているほうが、自分の意識の広がりは圧倒的に安定してくる。しかも未来に向かっても広がりを持ち始める。そういう意味でスペシャリストとしての生き方は多くの人にすすめたいと思う。他者と競争することなく居場所をずらして協働する働き方が、人の潜在的な能力を引き出すであろうことを確信する。もうそろそろ競争という信仰を捨てて、それぞれのわずかの違いを最大限に生かす社会経済システムを目指したほうがよいと思う。