スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

母子健康手帳とインド占星術

先日、必要があって麻しんと風しんの抗体検査を受けに病院へ行った。麻しんと風しんの予防接種を受けている証明になるかと思い、母子健康手帳を持っていたが、ジフテリア、百日風、破傷風、BCGなどは確認できたが、残念ながら麻しんと風しんの予防接種はしていなかったようだ。1968年(昭和43年)生まれの私の時代には予防接種はなかったのであろう。

そこで、実家の母に確認したところ、どちらも罹患しているということなので、おそらく抗体はあるだろうとのこと。そして、医師が驚いたことには、私の古い母子健康手帳が残っていたという事実である。医師がいうには、彼自身の母子健康手帳をみたことがないとのこと。この点、自分の母に感謝しなければならない。

私の母子健康手帳が手もとに残っていた理由に、実はインド占星術が関係している。1996年8月に、有名なインドの予言書、アガスティアの葉を探しにいった。当時、青山圭秀『理性のゆらぎ』(三五館、1993年)や『アガスティアの葉』(三五館、1994年)がベストセラーになっており、その予言書は日本でも有名になっていた。あることがきっかけで自分も自らの予言書を探してみよう思ったわけである。

そして、自分の予言書を探す手がかりとして、自分の生まれた場所と時間が必要であり、それで27歳のときに実家の母に依頼して、自分の生年月日と生まれた時間がかかれた手帳を自分が当時転勤で住んでいた青森県弘前市に送ってもらった経緯がある。

予言書のある場所はアガスティアの館といわれ、インドに何か所かあるようである。私が訪れた館は、当時マドラスといわれた、現在のチェンナイから車で2時間くらいのところにあるカーンチープラムというヒンドゥー教の7大聖地の一つにあった。

その村にアガスティアの館があり、ナディリーダーといわれる予言書を探す専門家がいる。ナディリーダーは館に5人くらいおり、代々、人々の親指の指紋から予言書を探し出す技術を受け継いでおり、教養と知性のある人たちだという。

そして、アガスティアの葉は古代タミル語で書かれているので、ナディリーダーは少なくとも古代タミル語が読めなくてはならない。よって、予言の解読には古代タミル語から現代タミル語に翻訳し、そして英語にして日本語にするという面倒な作業が必要になる。

予言はヤシの葉に書かれており、ナディリーダーに男性は右手親指の指紋、女性は左手親指の指紋を渡し、その指紋を拠り所に予言書を探し出すことになる。アガスティアの予言書は、インドの聖者アガスティアが残したもので、探しに来た人の70%くらいは自分の予言書をみつけるという。世界のどの国の人の予言が多いかというと、当然インド人のものが圧倒的に多いが、日本人の予言も少なからずあるという。また、欧米人のものは非常に少ないようだ。

結局、アガスティアは読みに来る人の分のみ予言を残している。いつ、何歳の時にくるのかも含めて準備をしている。読みに来ない人の予言を書き残しても無駄になるだけだからである。

予言探しのとき、ナディリーダーには、生年月日や経歴、両親の名前はもちろん、自分の名前も教えていなかった。よって、私の右手親指の指紋だけから探索することになる。そして、机の上には、アガスティアの葉の束が一つ置かれた。ヤシの葉であり、長さ40センチ、幅3センチ前後であり、一枚の葉に平均二人分の情報が書かれている。その葉をナディリーダーが読み上げながら、次のような質問をしていき、私は「イエス」か「ノー」のみで返事をする。

「あなたは、ソーシャルワーカーですか」

「ノー」

「あなたは土曜日に生まれましたか」

「ノー」

「あなたのお父さんの名前の最後の文字はサ行ですか」

「イエス

「あなたは政府の仕事をしていますか」

「ノー」

「お父さんは病気ですか」

「ノー」(実は父が病気であることに後で気づいた)

「お母さん名前の最初の文字はヤ行ですか」

「ノー」

「お母さんは先生ですか」

「ノー」

「お母さんの名前は三文字ですか」

「イエス

「あなたの名前はタカシですか」

「ノー」

「お父さんの名前はヒロキですか」

「ノー」

おおむねこのような質疑が40分くらい続き、一束目に該当する葉はなかった。そして、二束目の葉がナディリーダーによって読まれる。

「お父さんの名前でヤ行という文字はありますか」

「ノー」

「お父さんは病気ですか」

「イエス」(前の質問で誤って「ノー」といっていたのでホッとする)

「あなたは10日に生まれましたか」

「イエス

「あなたの名前で財産がありますか」

「イエス」(車がある)

「お父さんは自分の家を持っていますか」

「イエス

「お母さんの名前はユウコですか」

あれ!?

「イエス

「民間企業に勤務していますか」

「イエス

「二人兄弟ですか」

「イエス

「二人は独身ですか」

「イエス

「11月には生まれましたか」

「イエス

「お父さんの名前はマサジですか」

「ノー」

「マサジュ」

「ノー」

「マサズ」

「ノー」

「マサカズ」

「ノー」

「マサ・・・、マサ・・・、マサフジ」

「ノー」

ここで一気に、

「あなたの名はセイジ」

「イエス

「あなたは大学を出ている」

「イエス

「あなたは28年目を生きている」

「イエス

「お父さんの名前はマサトシ」

「イエス

「あなたの名前はセイジ」

「イエス

「1968年11月10日生まれ」

「イエス

「お母さんの名前はユウコ」

「イエス

「兄弟がいて姉妹はいない」

「イエス

「あなたは大学で法律を専攻していた」

「イエス

ここでナディリーダーは、

「OK?」

こんなやり取りで自分の予言をみつけることになった。私の場合、葉探しの時間は1時間半くらい。おそらく短い方ではないだろうか。ナディリーダーとのやり取りにおける回答は、すべて「イエス」か「ノー」で行われる。

興味深いのは何年目を生きているかを当てることである。もし、私が25年目あるいは30年目を生きているときに、カーンチープラムを訪れても自分の葉はみつからなかったことになる。紀元前3000年に実在したといわれる聖者アガスティアは、私が28年目を生きている27歳のときに、決意して日本の弘前からインドに来ることを知っていたことになる。

また、質問の中には私以外の名前がいっぱい出てくる。将来、「タカシ」さんという人が葉を探しにくるのか。あるいは「ヒロキ」さんという父親の子どもも葉をみにくるのだろうか。興味は尽きない。

そして、自分の予言がみつかった後は、ナディリーダーが自分の過去、現在、未来を読み上げてくれる。しかも、自分の過去には過去世も含まれており、私の前世はスリランカクシャトリヤ(武士・貴族)だったということ。当時、NPOを通じてスリランカの子どもを支援していたし、別の占星術師にも、前世はインドからスリランカに渡った僧侶であるといわれた。これは偶然なのだろうか。

自分の予言がどの程度当たっているか、25年近く経過した今から顧みると、およそ50%というのが客観的評価ではないかと思う。細かい点を突けば、間違っていたという部分も多いが、それでも大きな流れは正しいように思う。

間違いはいくつかある。たとえば、29歳で結婚するというが、34歳で結婚している。31歳のときに家を購入するというが、いまだに借家である。31歳で子どもが生まれるというが、35歳で第一子が生まれている。34歳のときに起業するというが、転職はしても起業はしていない、などである。

このアガスティアの葉に対する世間の評価はさまざまだと思う。私の評価は、人生のある時期にこのようなスピリチャルな旅をするのもよいと思う。できれば、若くて好奇心旺盛なときにインドを訪問するのがよい。しかし、その予言の内容に縛られることはない。やはり人生はある程度自分で創造できるようであるし、自由意志によって、ある程度の幅で運命も変えることができると思うからである。

50年以上前の自分の母子健康手帳からアガスティアの葉の話題になった。インドを訪問したのも25年前。時間というのも本当に存在するのか疑いたくなるくらい、過去のことが身近に感じられる。結局、過去にも未来にも生きられないので、今この瞬間が大事なのであろう。ある哲人は、未来は変えられるし、過去も変えられるという。未来も過去も存在しないのか、私たちの生きている世界の時間は、別の次元の時間と同じ流れなのか、いろいろ興味は尽きないが、しょせん自分の頭では結論にはたどり着けないということだけは確かである。