スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

「ジョブ型人材」の戦わない戦略

メンバーシップ型からジョブ型に社会が移行するとしても、怖がる必要はない。人に仕事が与えられていた社会が、仕事に人が当てられる社会に変わるだけのことだからである。今までは活躍するかしないかわからない新卒学生を採用し、無理やり仕事を与えて育て、競争させていた。それはまるで同じルールの下で競争させて、誰が一番になるか実験しているようなもので、非人間的であったともいえる。そもそも、人が能力を発揮する場面は多様であり、同じルールや条件を組織内に作り上げて競争させること自体がナンセンスであったかもしれない。

しかし、ジョブ型においては、目の前にある仕事に対してそれを実行できる人にその仕事が提供されていく社会に変わる。そして、世の中には様々な種類の仕事があるので、それぞれが自分の得意技を活かして生きていける社会が到来するといってよい。同一条件で競争するなどということはどうでもよく、その仕事を通じていかに人や社会に貢献していくことができるかが重要になる。そのような社会になれば、間違いなく教育も変わる。そもそも同じ問題を解いて点数を競うことにほとんど意味がなくなるからである。おそらく、北欧のように一人ひとりの個性を伸ばし、人生で圧倒的な強みを創って生きていけるような教育に変わっていくことであろう。多様な社会や現実に対して多様な人材がチームを組んで課題に取り組むような社会に対して、十分に力を発揮できるための教育である。

このような社会になれば、もう競争というものが意味をなさなくなる。生き残るために戦わなければならないということも幻想になる。そもそも戦うということはエネルギーの消耗につながるので意味がない。また、戦うことで価値が生み出されるわけでもない。むしろ戦うことは破壊である。今の日本の組織にいる人材は、せいぜい同じ会社の中の同期や同じ部署の人と戦っている程度で、外の世界と戦っている人材は少ない。組織の中にだけこもって競争するから外の世界も知らず、自分の能力が高いと過信して、能力が低いと思う人へのハラスメントも起きる。本当に自信があるなら自分の所属する組織だけで権力をちらつかせ言葉の暴力を撒き散らすのではなく、しっかり外の世界に出て外部の評価に晒されてみるべきである。しかし、そのような人に限って、外の世界に出る勇気がないのである。だから閉ざされた組織の中で叫んでいるのが心地よいのである。

これからのジョブ型人材は、とにかく人と違うことを極めて、高い付加価値を世の中に提供していくことが重要になる。同じルールの中の競争を止めて戦うことも回避し、誰にも代替が効かない仕事(ジョブ)を創造していくことになる。それがジョブ型人材であり、戦わないで生きる道筋になる。さらに、ジョブ型人材の価値は、目の前の仕事をこなすということだけではなく、新しいジョブを創造していくことである。営業であるなら限られたパイを奪いあうのではなく、限られたパイの外に市場を創造していける人が本物のジョブ型人材である。よって、市場シェアや売上高といった指標もあまり参照されなくなる。事業計画を作成するときも市場規模など意味がない。自分たちで市場を創るからであり、分析すべき市場は目の前にないからである。そして、市場シェアといっても新しい市場を創るわけなので、市場シェアも計りようがない。無理していえば競合がないので市場シェア100%なわけである。極論かもしれないが、イメージとしてはこのようなことで、お互い強みを持っている者同士が相互補完して助け合い、社会に価値提供していく時代が到来するのだと思う。