スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

非情な財界人を生んだ「総合職」

引き続き、リクルートワークス研究所の機関誌Works 122号(2014年)の第1特集「日本型報酬・人事システムの着地点」に濱口桂一郎氏のジョブ型人材の解説があるので少し触れる。

これから主流になるかもしれないジョブ型正社員と従来の正社員の違いは何か。ジョブ型正社員は、職務や勤務地、労働時間が限定されているということが特徴で、従来の正社員は、職務は変わるし勤務地も変わる。労働時間は本来限定されているが、仕事で差別化できないので長時間労働で勝負みたいなところがある。

このようにしてみると、いわゆる「一般職」が、職務や勤務地が限定されているという点でジョブ型正社員と似ている。一方、従来の正社員は、いわゆる「総合職」のことであるが、辞令一つでどこでも転勤します、何でもやりますという、気力、体力、根性が勝負みたいなところがある。しかし、これからの時代、そんな総合職がいくらいても革新的な組織はできない。10人の素人が集まってもろくな成果がでないなか、1人の専門家がいれば目的を達成できるようなこともある。不確実性が高まり、ビジネスが専門特化してきている時代に「なんでもできます!」という人材に価値を生み出すことはできないであろう。

濱口氏によると、一般職というモデルは職務が限定され、配置転換もない結婚退職を前提とした女性の職種であったという。しかし、結婚退職が前提の奇妙な点を除けば、実はアメリカやヨーロッパの一般的な労働者の姿だという。

今考えると、筆者が社会人になったのは1993年で、総合職は90名のうち女性は3名しかいなかった。そして、総合職は日本全国のあらゆる地域に、あらゆる職種で配属されていった。考えてみると「なんでも屋」である。そんな「なんでも屋」が日本企業の基幹業務を担い、しかも昇進が有利で、処遇も一般職よりもはるかに良かったわけである。

しかし、誰が考えても自明であると思われるが、人々のニーズや生活スタイルが多様化した時代に「なんでも屋」が活躍できる世界など存在しない。一方、冷静に考えてみると、これからのジョブ型人材は、職務や勤務地が限定されている点で一般職と同じである。ただし、高度な専門性をもった人材ということで従来の一般職とは異なる。たしかに、ジョブ型人材は、男女を問わず選択可能な新しい形の一般職ともいえるが、一般職というとかつての総合職のアシスタントになってしまうので、ジョブ型人材、専門職、スペシャリスト職、プロ人材などの呼び名が使われるようになるのであろう。

それにしても、日本の総合職という制度がもたらした罪は大きいと思う。日本の経済界の代表はほぼ全員、日本の伝統的企業の総合職出身者である。右肩上がりの経済成長を思う存分謳歌して、「なんでも屋」で出世したからといって、競争によってのみ能力が向上すると説き、競争と格差を助長すべきであると述べてみたり、新型コロナウイルスに対応する緊急経済対策として国民1人あたりに10万円の現金給付を「電子マネーでの給付が望ましい」といってみたり、平気で根拠のない発言ができる人を生み出してしまった。目の前の衣食住でさえも窮乏している人がいることの想像すらできないのである。そのような稚拙な考えを臆面もなくいえるのが、日本の総合職人材なのかもしれない。しかも、日々経済的に困窮している人に比べて、はるかに高い報酬と各種経費など経済的利益(フリンジ・ベネフィット)を受け取っているわけである。しかし、この不公正はもうすぐ終焉を迎えるのではないだろうか。新型コロナウイルスにより経済社会の転換が起こることで、もっと透明性のある公正なシステムに変わるのではないだろうか。そのような社会が来ることを待ち望んでいる人は多いと思う。