職人的生き方の時代

自分だけの生態学的ニッチで生きる

日本の経営者こそ「ジョブ型人材」に

リクルートワークス研究所の機関誌Works 122号(2014年)の第1特集「日本型報酬・人事システムの着地点」に示唆に富んだ内容があった。日本の労働者の時間当たりの賃金は、1989年と2008年を比較すると大卒、高卒ともに低下している。しかも、大卒でも高卒でも1989年では勤続年数が増えるとそれなりに賃金の上昇が明らかなのに、2008年では賃金上昇が緩やかになっている。2008年には勤続年数が増えても賃金が増えない、言い換えれば経験を積んでも能力が高まっていないことになる。おそらく、2020年の統計を取ればもっと顕著な結果が出るであろう。しかし、本当に経験を積んでも労働者の能力が高まっていないので賃金も上昇しないのだろうか。

この論文における分析は、かつて日本企業で求められてきた技能は、欧米に先例があるキャッチアップ型のものが中心だったという。高度成長から安定成長に至る時期は、資本を増やせばそれに応じて生産性も上昇したが、その後、日本経済が定常状態になり、資本を増やしても生産性が上がらなくなったという。お手本が存在しないなかで、イノベーションを起こして、パラダイム・チェンジを起こさないと生産性も賃金も上がらないのだという。定常状態に入った日本経済において、このような苦しい状態が続くことになる。

続けて、日本型の年功序列賃金や終身雇用制度は、異質な人材を求める中途採用を難しくしたり、発想の似通った労働者ばかりを生んだりして、時代の変化に対応できない組織という観点でマイナスの影響を与え始めたという。その結果、経営者は何をしたかというと、賃金の低い非正規労働者の比率を上げて全体の人件費の抑制を始めたという。そして、全体の人件費は下がったが、労働条件の違う人材が同じ職場で働くことで、チームワークや一体感の低下につながり、過去の日本的な良さも失われ、組織内でイノベーションを起こすことにも悪影響を与え始めたという。

これを読んで思ったことは、端的にいうと経営者こそジョブ型人材になる必要があったのではないかということである。施策として正規労働者を減らして非正規労働者を増やすことなど、誰でもできることではないだろうか。経営者がやらなければならなかったことは、連続的にイノベーションを起こせる組織を作り、持続可能な成長を達成できる最強のチームを作ることではなかったのだろうか。人件費の安い組織を作り、労働者を疲弊させ、日本社会に貧富の格差を広げることではなかったはずである。

日本の経営者には、本物の経営者が少ないといわれる。経営者として訓練を積んだ人というより、営業部門のリーダーとして数字を達成した人、人事部門のリーダーとして人件費抑制を達成した人、投資部門のリーダーとして投資を成功させた人が、そのまま経営者になることが多いが、多くは経営者としての必要な知識や経験、リーダーシップは持ち合わせてないという。一つの部門で目標を達成するだけなら非情なハラスメント型のマネジメントでも可能である。いってみれば恐怖政治でもなんとかなる。しかし、一企業の経営者ではそうはいかない。株主、債権者、金融機関、従業員、取引先、下請け会社、格付け機関など多くの関係者と対話し、強力なリーダーシップで社内外の人を巻き込んで会社を盛り立てていくことが必要なはずである。しかし、現実の日本の経営者がやったことといえば、非正規労働者を活用して人件費を削減し利益を出すことだった。

このような経営者に労働者が対抗するには、労働者が積極的にジョブ型人材になり、経営に納得できない場合は、別の組織に移るという切り札を持つことである。自分でジョブ型人材になれない経営者が、労働者だけに「これからはジョブ型雇用だ」といわれても納得できない。結局また人件費削減のネタに使われるだけなのかもしれない。多くの日本の経営者にぜひジョブ型人材になっていただきたいところである。