職人的生き方の時代

自分だけの生態学的ニッチで生きる

日本人の長時間労働はゼネラリストであるため

一つの会社に所属し、人事異動でいろいろな仕事を経験してゼネラリストとして生きる日本人というのは、昭和の時代は当たり前でした。ゼネラリストであれば他者との差別化も難しく、長時間労働でもするかということになったのでしょう。よって、長時間労働の要因は、日本の労働者の多くがゼネラリストであることなのではないかと私は思っています。

一方、スペシャリストであれば、あらゆる仕事は自分の裁量で処理でき、突発的な案件が来ても、入口から出口まで見通せるのでストレスも少ないことが多いことでしょう。これがゼネラリストであると右往左往してしまい、誰に聞けばいいのか、何を調べればいいのか、とにかくわからないから大騒ぎし、結局仕事も後手に回ります。

冷静に考えれば、すべての日本人が職人のようにスペシャリストになれば、組織内の業務はかなり効率的に処理できるはずなのに、ゼネラリストも必要であるという議論が残り続けるのはなぜでしょう。その理由は、ゼネラリストが自分の存在意義を失いたくないために必死で「ゼネラリスト必要論」を主張しているためだと思います。ジョブ型ともいわれていますが、メンバーシップ型が心地よい人がまだ多数派なのでしょうね。

本来であれば、現在ゼネラリストの人も少し努力し、専門性を身につけてスペシャリストに転換すればいいのですが、その「少しの努力」をしたくないので、ゼネラリスト必要論に傾くわけです。労働市場においてほとんど値段が付かないゼネラリストですが、市場価値があるように振る舞うためにもゼネラリストに価値があることにしなければなりません。

結局、長時間労働を改善したくても、ゼネラリストであり続ける限り長時間労働は解消しません。一方、「少しの努力」も実践したくないので、長時間労働という不思議な努力に精を出します。これが長時間労働の正体ではないでしょうか。

こんなことを続けている限り女性の労働市場への参加は困難で、外国人労働者もバカらしくて会社を去っていきます。今ゼネラリストも必要だとか、全員がジョブ型になる必要はないと主張している人が制度を維持し続ける限り、長時間労働の解消は不可能なことでしょう。