職人的生き方の時代

自分だけの生態学的ニッチで生きる

透明性の高い労働市場で起こる変化

透明性が確保された労働市場では多くの人の働き方が変わる。まず、労働者を評価するのは上司だけではなく労働市場になるので、ゴマをすることの効果は半減する。それどころか長期的にみれば、多くの人は上司の評価より、市場の評価を信じるようになるので、労働者の行動パターンが変わり、いかに人や社会に価値提供しようかということを考えるようになる。

また、仕事における能力だけが評価の対象ではなく、その人の人柄や性格も市場の評価や評判になるので、部下を叩いて脅して目標を達成するような人の評価も丸見えになる。また、外資系企業に多い傾向がある、自分をアピールしすぎて他人を貶めるような発言を繰り返し、常に失敗やできない理由を他者のせいにするような人の行動パターンも変わるであろう。これからは、正直に真面目に小さな挑戦と失敗を繰り返す人が評価されるようになる。挑戦も失敗もしないで「あいつはわかっていない」「あの子は能力がない」「あいつはズルい」などと年中いっている暇はない。自分が人のため、あるいは社会の発展のために何ができるのかを考え続けているような人が高い評価を得ることになる。

そして、その実績やその人の軌跡は、自身のジョブ・カードにも記録され、労働市場の評価としても確立していく。よって、10年、20年、30年と継続していくにつれて自分の労働者としての地位が安定してくる。20代では自身の評判が確立していないデメリットがあるが、若さが武器になるのであらゆる挑戦と失敗が許される。また、条件を度外視した転職も容易である。30代では20代の経験や失敗を糧に実務における目の前の実績を積みがることができる。家族もできて責任もある時期なので、実績をもとに良い条件での転職が必要になる。40代では、目の前の成果のみではなく、実務で積み上げた実力をもとに、社会に、あるいは世の中に貢献することで評判を積み上げることができる。子どもの教育などにお金がかかる時期でもあるので、年収重視の転職も考えなければならないかもしれない。そして、50代では社会や世の中に貢献した実績をもとに、さらに社会的意義のあることに時間を割き、労働市場での評判を強固なものとして、さらなる飛躍を狙う。確固たる実績を積み上げた人材であれば、良い条件での転職も十分あり得るであろう。最後に一昔前であれば、60代や70代はリタイヤしている世代であるが、透明性の確保された労働市場では、実績のある人を放っておくことはなく、最後まで活躍の場があるということである。

このように年功序列賃金を止めて、労働市場による市場価格に頼るとしても、結局、年功序列賃金と似たような賃金カーブを描くことは可能である。自分の年収は自分で決め、自分の勤務地は自分で決める。自分の職種も自分のキャリアも自分で決める社会である。研修も会社から提供されるものに頼る必要はない。大学や大学院は社会人になってから通うほうが問題意識や課題設定も明確になるので、より投資に見合ったリターンを出しやすい。よって、自分で大学でも大学院でも通って能力開発はできる。海外勤務経験も会社から提供される必要はない。必要と思えば若いうちに海外で働いてもよい。

自分のキャリアは自分で構築しない限り、人生の最期まで勘違いして生きるリスクが残る。会社派遣でMBA留学させてもらい、業務命令で海外勤務を経験させてもらえると、自分は選ばれた人材という驕りが出てしまい、その後のキャリア形成にマイナスの影響が出る人が多い。結局、会社のお金でMBA留学するのは、親離れできない子どもと同じ意識を植え付けるし、日本企業の海外駐在の仕事は接待やゴルフが多く、本来の業務で能力を磨く機会も少ない。そもそも大きなビジネスは日本にあり、海外のビジネスはその周縁の事柄であることが多い。海外駐在で箔がつくどころか帰国後にリハビリが必要で本人にとって大きな損失になる。そんなことなら、日本所在の小規模な外資系企業で働き、上司が海外の外国人という立場のほうが、明らかに実力がつき大きな仕事もできるであろう。

メンバーシップ型雇用のいい点もあることは認めるが、もう自分からジョブ型雇用に移行していかないと手遅れになる。自分の会社にジョブ型雇用の制度がないのであれば、早い段階で意識だけでもジョブ型にする、あるいは思い切ってジョブ型雇用のある会社に転職してしまうのもあり得る選択肢である。未来のリスクを回避するために、今リスクを取ってしまうことも一つの戦略である。