スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

軍艦島にみる昭和の働き方

先日長崎を訪ね、幸いにも軍艦島に上陸することができました。波が荒いといきは船が島に接岸できないということでしたが、私たち家族が乗った船はうまく接岸し上陸することができました。プロのガイドの方は、大学院で建築学を学ばれた方だったので、炭鉱の構造や労働環境についても興味深く解説いただきました。

そこで感じたことは、やはり昭和の時代と今では明らかに人々の労働環境は改善されているということと、人々の働くことへの意識も大きく変化しているということの2点でした。

まず、労働環境については、炭鉱に事故がつきもので、やはり命がけの仕事だったということがわかります。毎日命があることに感謝せずにはいられないくらい死と隣り合わせの環境だったわけです。子どものころ北海道に住んでいた私も、1981年に発生した夕張炭鉱事故は記憶にあります。毎日テレビで中継され、死者が運び出されたり、消火活動の詳細が報道されていました。最後は、坑内に残された労働者がいるにもかかわらず、消火活動のために注水されるということになり、悲惨な結末となりました。

それに比べて現代の職場環境で危険な場所は限られています。金融サービス業ということもあるかもしれませんが、私の職場にそのような危険な場所はありません。IT産業なども危険な職場環境とは無縁でしょう。現在の私たちの多くは、安穏としていても命の危険がない幸運を噛みしめなければなりません。

また、現地で軍艦島の写真集に接する機会があったのですが、人々の労働に対する意識も命がけだったというのがわかりました。1974年に軍艦島端島炭鉱が閉山しますが、その後、残務整理などで島に残っていた人がいます。その中で労働組合の三役の一人がすべての業務が終了し、北海道にいる同僚と再会した後、自殺をしてしまったという出来事がありました。その方にとっては、端島炭鉱での活動は人生のすべてだったのでしょう。何とも悲しい結末なわけですが、当時の人の仕事に対する思い入れが感じられます。

一方、現代の働き方は変わりました。自分の配属先に不満があれば転職する人はいくらでもいます。上司とそりが合わないとして会社を辞める人もいます。それだけ選択肢が増えて逃げ場があるということです。この点でも現代人は幸せです。自分の求める理想像を掲げて、職場を変えることがきでるわけです。

軍艦島への上陸は、単なる懐古趣味や廃墟マニアの見物としてではなく、昭和と現代のコントラストを感じるのに非常に有益でした。長崎の原爆記念館と並んで、ぜひおすすめしたい観光名所であることは間違いないと思います。時代が軽くなっていることを実感できます。