スペシャリストの生き方

自分だけの生態学的ニッチで生きる

コロナ禍は労働者が幸せを追求するチャンス

布留川正博『奴隷船の世界史』(岩波新書、2019年)によると、奴隷船の船長は、奴隷の年齢や肌の色つや価格などを慎重に吟味し、折り合わない場合は取引を拒否した。奴隷の数が増えると奴隷には番号が付けられ、航海日誌にはその特徴が記される。また、奴隷の態度を注意深く観察し、反乱の企てを未然に防がなければならなかった、とのこと。まさしく奴隷船の船長は現代企業の典型的な管理職である。

そして、植村邦彦『隠された奴隷制』(集英社新書、2019年)によると、新世界の奴隷制がなければ資本主義はなかったし、近代世界システムも生まれなかった。オランダの東インド会社、イギリスのアフリカ会社や東インド会社のような武力による奴隷制プランテーション経営こそ「株式会社」の出発点だった、という。奴隷からの搾取が資本主義の源流と考えると、現代の労働者も奴隷制の流れを汲む雇用制度のもとで搾取の対象なのであろうか。

しかし、コロナウイルスによる在宅勤務の増加は、労働者を奴隷から本物のプロフェッショナルに解放してくれる可能性を秘めている。通勤時間を業務遂行時間に充てることができ、結果さえ出せばそのプロセスは問わない、というより問うことができないことになっている。やっている感を醸し出せば、一日働いたことになっていた今までの環境が一変することになる。上司の前で行儀よく座っていればよかった労働が、成果を示せなければ意味がないという環境になってくる。このコロナ禍は、新卒一括採用や終身雇用、人事異動、昇進制度、年金制度など、これまで私たちに必要と思い込んでしがみついていたものを、実はもういい加減に不要なのだから手放していいということを暗示しているのかもしれない。労働者にとっては禍ではなく幸運なのではないか。一方、経営者にいてみると、業種によってはどんな手を打っても業績が悪化してしまうこともあるだろう。明らかに不幸以外のなにものでもない。これを幸運に変えるのは、どんなに優秀な経営者でも至難の業なのではないか。それでは、資本家である株主はどうであろうか。これもなかなか厳しい。経営者の責任を問うといっても業績の悪化をコロナ禍のせいにされると、責任追及も難しい。訴訟に持ち込んでも裁判官が経営者の責任を認定することは難しいであろう。労働者、経営者、資本家の中で、一番自分の幸せを追求しやすいのは、おそらく労働者ではないだろうか。

そして、山本太郎感染症と文明』(岩波新書、2011年)によると、14世紀にペストがヨーロッパ社会に与えた影響が三つあったとのこと。

 

① 人口が減り人手不足のために労働者の賃金が上昇し、労働者が経済的余裕を手にした

② 教会は権威を失い、国家という意識が芽生えた(キリスト教の呪縛から解放された)

③ 既存の制度では登用されなかった人材が登用されるようになり、社会や思想の枠組みが変わった

 

パンデミック後は、これらによって新しい価値観の創造がなされている。同じ現象を悲観的にみることも楽観的にみることもできるが、労働者は現下の厳しい情勢において敢えて後者のポジションで前向きに乗り切るチャンスを手にしているといえる。