スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

出版作業でわかる一緒に仕事をしたい人

2冊の共著の編集をしていて気がついたことがあります。それは自分が見えている世界が、他の人も見えているとは限らないということです。共著の形式や内容に一定の統一感は必要になるので事前に執筆要領が手渡されます。すべての著者は同じ要領を確認し、執筆を始めますが、出来上がった原稿はバラバラということがあります。

同じものを読んでも解釈が変わるのか、そもそも要領が頭に入らないのかわかりませんが、編集している側では、出来上がる原稿に相当なバラつきが生じるのは、そういうものだとあきらめるしかありません。それから表記ゆれを直したり、見出しを工夫したりしながら、読者目線の原稿に整えていきます。

執筆者全員が立派な大学を出られ、その後、高度な職業に就かれ、さらに高等教育を受け続けている人たちもいましたが、文章を書くということはまったく別次元の話だということがわかりました。

最近の大学入試は総合型選抜という小論文や面接を課した入試形式が増えているといいます。たしかに会社に入れば、稟議書や報告書など文章を書く機会は多いので、その部分の能力は鍛えておくことに越したことないと痛切に感じます。採点する側の負荷は相当なものでしょうが、大学入試全体が総合型選抜になれば、日本の高等教育の風景もかなり違ったものになるでしょう。

もうすぐで、2冊の編集作業は終了いたしますが、そこから多くの学びや気づきがあれば、執筆者にとって有意義な企画であったことでしょう。そして、少なくとも私には大きな気づきがありました。一緒に共著を出すことによって、その人が見えている世界もわかるし、文章を書く技術力がどの段階にあるのかもわかります。次も一緒に何かを書きたいと思わせる人も見えてくるので、共著の執筆というのは、ある意味で次のステージへのリトマス試験紙だったともいえます。

また、文章というのは、その人の技術がどの水準にあるのか証拠が残るので、気をつけなければならないとも思いました。自分もあちこち証拠を残していることになるので、実は怖いことでもありますね。身を引き締めていかなければと思います。ほどほどにですが、、、