スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

次の世代に伝えたいことを「紙」で残す

良いのか悪いのか、一般書と専門書の出版が重なり、珍しく校正作業に追われていました。どちらも、初回校正が終了し、2回目を待っている状況ですが、いろいろ気づくことがありました。

まず、ワード原稿では気がつかないミスが、なぜゲラになると際立つのか不思議です。執筆から時が経過しているために、頭がリセットされて、違う目線でゲラを読むことができるのかもしれません。特に専門書の方は、博士論文の書籍化なので、ワード原稿の段階で、精魂尽き果てるまでチェックしたはず。それでもミスはみつかります。

たとえば、「弁護士を委任する」するという表現を、「弁護士に委任する」に修正しました。「を」を使用するなら、「弁護を委任する」でしょうか。まさしく、「てにをは」ですが、バカにできませんね。論文執筆は、正しい日本語を使うというインセンティブが働く点で、私に多くの果実をもたらします。

組版の過程でも意外なミスが発生します。組版とは活字を組み合わせて印刷の元になる版を作るということのようですが、私のワード原稿にある一つの文章が抜け落ちていました。かなり珍しい事象のようですが、どんなに印刷技術が発達しても、想定外の事故が起きるということです。最後は、人の目による校正で修正されるわけですが、出版業界でも職人の活躍の「場」というのが、まだまだ残されていることを知る出来事でした。

これで3冊目の専門書と2冊目の一般書になりますが、このブログを書く以上に、慎重に文章を組み立てていると思います。紙になると修正が効かないというのが、厄介でもあり、良いところでもあります。後々残るものと思うとそれは気合が入るものです。

50年後、私はこの世にいませんが、本は存在しており、もし自分の孫が読むかもしれないとなると、いい加減なことは書けなくなりますね。まだ、孫がいないうちから心配する自分も愚かですが、紙になる効用というのはこの点にあると思います。

活字離れがいわれて久しいですが、やはり紙による書籍の出版は残って欲しいと思います。多くの人がブログなどで情報発信する機会が増え、次は紙に残す作業に移行することで、伝統を重視したより正しい日本語で、次世代に多様な考えがあったことを残すことになると思います。技術が進歩し、誰もが安価に書籍を出版できるようになればいいですね。