職人的生き方の時代

自分だけの生態学的ニッチで生きる

本の出版から恥をかき学ぶ

二冊目の単著の専門書となる『先端的賠償責任保険-ファイナンシャル・ラインの機能と役割』(保険毎日新聞社、2022年)を上梓した。正直、一冊目の時より情熱が薄らいでいたかもしれない。そうなるのが当たり前だろうか。そして先日、自分の著書のページを開くと、違和感のある表現が目に入った。「実態にそぐっている」という記述が妙に引っかかる。そもそも、こんな日本語表現があるのか。その違和感は、声に出して読む時に感じるというより、視覚的なもののほうが強かった。

国語辞典で調べてみると、「そぐう」は「ふさわしい。似合う。つり合う。調和する。」という意味で、普通は打消しの形で使うとあった。すなわち、「そぐわない」という表現である。「葬儀の場にそぐわない服装」というように。

そこでさらに、グーグルで "そぐっていない” と検索してみると、いくつかそのような使い方をしている文章が出てきたい。そして、イーロン・マスク氏のおかげで話題のツイッターのコメントがいくつかヒットした。

三省堂国語辞典編集委員飯間浩明氏によると「「そぐう」という動詞は、一般に「そぐわない」と否定形で使われますが、肯定形もあります。『角川外来語辞典 第二版』1967.7.18 p.1「序」に〈この精密・精厳な研究を得て,この研究にそぐうばかりの,国語の内側の研究が要求される〉という金田一京助大先生のことばが載っています。」

文筆業の栗原裕一郎氏は、「「そぐってない」って日本語としてヘンなのかな? 「そぐう」は打ち消しの「そぐわない」で用いられることが多いけどそもそもはワ行五段だから、連用形+接続助詞「て」+ない=「そぐいてない」はありだよね。音便化すれば「そぐってない」になるから理屈は合ってるよね?」とコメントする。

いろいろ調べるものの明確な答えは出てこない。ただ、自分の文章をみたときの視覚的な違和感はとても強かった。自分の書いた文章なのに、なぜもこんなに不自然な印象をもったのかわからない。たしかに、あわてて追記した段落であり、検証が不十分であったのは事実である。ワード原稿で違和感を感じず、ゲラになっても気がつかず、書籍として完成して、ページを開いたら、何ともいえない違和感。普通はゲラになると、いろいろ誤字脱字や表記の誤りがあぶり出されるように気がつくことが多いが、今回は素通りした。

おそらく今後、この表現を使うことはないと思う。日本語として正しいか正しくないか答えは出ていないが、自分の中に感じた違和感は大切にしようと思う。言葉は生きているともいえるが、何となく間違えたという感情がわいた。読者のどれだけの方が気がつくかわからないが、「実態にそぐっている」を「実態に合っている」と書けばよかっただけのことである。

出版後にこのようなことが発覚すると、内容についても、2020年に改正された民法との整合性がない記述もあるのではないかとか、労働法の解釈に間違いがあるのではないかとか、いくらでも懸念点は出てくる。本を出版した人が、どれだけ自分の本を読み返すのかわからないが、私は必要がなければあまり読み返さない。誤りを知るのが怖いからであろうか。そもそも燃え尽きているので、読む気が起きないのだろう。

そして、自分の人生で専門書の出版も二冊で終わりかと思ったものの、自分の未熟さを実感して、三冊目もいつか書きたいと思うようになった。10年はかかるだろうか。次のテーマはまったく見えていない。