スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

環境問題を語るセレブには見えない世界がある

本当に地球は温暖化しているのか、ということについて正しい答えはありません。データのとり方、データの観測期間、予測データの入力等によって結論が変わります。いろいろな研究者が研究結果を出しているので、複数の研究を参照し、バランスの取れた判断をしていくことも大切です。過激な思想に染まらないためにも。

有馬純『亡国の環境原理主義』(エネルギーフォーラム、2021年)は、その点で私たちに反省を促す良書です。私たちがいかに「雰囲気」に流されやすいか、科学的データを軽視しやすいか、立場によって人の主張は変わりやすいのか、ということを示してくれます。

書名にもある「環境原理主義」は、「イスラム原理主義」や「キリスト教原理主義」のように、環境保護に関する過激な思想を他者にも押し付けるような主義のことをいいます。環境活動家のグレタさんは典型的ですね。彼女は「あなた方が話すのはお金とか経済成長というおとぎ話ばかり。よく、そんなことが言えますね」という発言をしていますが、スウェーデンのような豊かな国のセレブには、多くの人々が今まさに生きるか死ぬかの状況に置かれている貧しい国のことは視野に入らないでしょう。

日本にも環境保護について発言が多かった坂本龍一氏も、原発停止による電気料金上昇の懸念に関して「たかが電気のために」と言い放ちましたが、セレブの彼にとって電気料金の上昇など大した問題ではなかったのでしょう。

ここで大切なのは、地球が温暖化しているのかどうか、あるいは、原発は止めるべきなのかどうか、どちらの政策が正しいのかというよりも、すでに豊かになってしまった人や国にとって、いまだに貧しい人や国のことが視界に入ってこないという問題だと思います。

より豊かな生活をするために、経済成長することは大切ですし、そのカギを握るエネルギー政策に選択肢があることは、その国や人々にとっては重要なはずです。もちろん、日々生きていくために低廉な電力を確保することも大切です。そう考えると、物質的に満ち足りた世界にいる人たちが、貧困層への配慮もなく、軽々しく持論を展開する姿は稚拙に映ってしまいます。

この点、有馬氏ははっきりと偽善に思えるといいます。屋根上ソーラーにせよ、電気自動車にせよ、環境原理主義者が主張する政策で経済的便益を受けるのは富裕層です。グレタさんがすべての化石燃料関連投資の差し止めを求める公開書簡は発出したとき、賛同者には、レオナルド・ディカプリオ氏やラッセル・クロウ氏など、名だたる俳優やアーティが名を連ねていました。自らは安楽な暮らしをしながら、貧しい人の生活水準の向上に必要なエネルギーの選択肢を奪うことが、何を意味するのか彼らには想像できないのでしょう。

環境保護という誰もが否定しにくい問題について、環境に配慮すべきというような発言をするのは容易ですし、反論されることも珍しいかもしれませんが、環境問題の本質はそれこそ「おとぎ話」ではない点にあるということかもしれません。