ジェネラリストかスペシャリストのどちらで生きるべきかの議論は永遠に続くと思われるが、やはりジェネラリストを選んでもスペシャリスト的な生き方をしないと最後は詰まる。実は、組織内でジェネラリストとして出世した人も出世しなかった人も、定年退職という最後のゴールは同じである。役員になれば労働契約から委任契約になるので、定年は関係なくなるが、いずれにしても後継者プランに従い、いずれは退任の時期がくる。
そして、出世したジェネラリストとそうでないジェネラリストを比較した場合、より大きなダメージを受ける人は、出世した人のほうかもしれない。たとえば、それまで、200名という部下がいた役員が、突然、従業員数20名の子会社に出向することはある。急に10分の1の組織に異動するショックはいかほどであろう。あるいは、いきなり顧問ということもあり、その場合部下はいない。この落差による衝撃は本人にしかわからない。
このようなことは定年制を長らく維持している日本の企業社会では当たり前のことであるので、今さら何をいっても仕方がない。アメリカやカナダ、オーストラリアなどは定年制が年齢差別となり違法なので、自分で退職のタイミングは決めることになる。たしかに、人間は60歳や65歳を境に突然能力が衰えることもないし、人によっては子どもがまだ自立していない場合もある。ジェネラリストとしての人生を選んだばかりに、ある年齢を境に突然キャリアが途絶えるわけである。
たとえば、60歳の誕生日の朝目を覚まし、自分が変わってしまったと自覚する人はいないであろう。突然、体力がなくて起きられないこともない。変わらない日常として一日はじまるわけである。考えてみると日本の定年制は他律であり、アメリカの制度などは自律しているといえる。人任せの人生ではなく自分で自分のことを決めるという、極めて合理的な仕組みになっている。
ところで、日本のジェネラリストの退職時のような残酷な事象を回避することはできるのか。あるとしたら、自分で自分をリストラし、ジェネラリストとしての人生を捨てることである。30歳定年制を推奨する筆者としては、20代で仕事の基本を身につけた後は、最初からスペシャリストとして生きていくことを決めてしまうことがよいと思う。そうすることで、会社でのポジションがどうであろうと、その人のキャリアは60歳以降も続く。もし、他者から必要とされるノウハウを持っているのであれば、60歳でも70歳でも世の中から必要とされるのである。
その点、大企業の役員になってしまい、部下が何百名もいたりすると、自分の専門性など関係なくほとんど組織の人事的なことで振り回されてしまう。多くの時間が部門間の人のやり繰りなどで浪費されてしまう。もちろん、自分の専門性など身につかない。会議も多く接待も多いが、どれも専門性を要求されるものではない。専門性が必要な業務は部下がやるので、自分が専門業務をやりたいと思ってもできない。それをやってしまったら役員は務まらないのである。よって、もしそれが嫌なら自分で自分をリストラしスペシャリストの人生を選ぶことが必要になる。
厚生労働省が発表した2020年の簡易生命表による日本人の平均寿命は女性が87.45歳、男性が81.41歳である。この平均寿命をベースに自分の事業計画を作るとすると、30年の事業計画が必要になる。仮に10年長生きしたとするリスクも織り込むと、なんと40年の事業計画が必要になる。自分の40年前は12歳であり、ほとんど記憶も残っていない。ビジネスで事業計画を作成するときには、せいぜい5年、長くても10年ではないだろうか。まったく経験したことのない思考と仮説が必要になる。
このように考えると、やはりジェネラリストで居続けることは、とんでもないリスクを取ていることになる。誰にも当てはまるが、平均寿命できれいにあの世にいけるという保証はない。こればかりは定年制と同じように年齢で切ることができないわけである。
そして、最大の問題はジェネラリストからスペシャリストへの転換は容易ではないということである。40歳定年制が提唱されているが、それでは明らかに遅いのである。やはり30歳定年制だと心得てそこからスペシャリストの道を歩み、さらに50歳あたりからは自分が事業家であるという意識をもって、いくつもプロジェクトを走らせないと先がないことになる。そういう筆者も30年の事業計画など作ったことがないが、少なくとも死ぬまで社会に貢献できるような、あるいは次の世代を育てるような仕事はしたいと思う。それをさせてくれるのがスペシャリストの生き方であろう。