このブログをはじめてもうすぐ1年になる。とくに広告収入を得る目的もなく、書籍の下書きとしてはじめたものなので、ブログへのアクセスが増えても増えなくても、それほど気にならない。ただ、多くの人がどのようなテーマに興味があるのかを知ることができるし、自分の文章が人目にさらされるのは緊張感があってよい。自分の中で規範意識も働き、それなりに表現も謙抑的になる。
ちなみに、本ブログのアクセス数など、平均すると一日20件くらいではないだろうか。100件を超えた日はないと思う。その程度のブログなので、一般化しても意味がないかもしれないが、もっともアクセスの多いのはグーグルの検索からで、テーマは「博士論文」に関するものが多い。なんだか意外ではあるが、ニッチなテーマで検索すると本ブログがヒットするのかもしれない。ここから得られる示唆は、競争を回避するには、ニッチな分野を狙うのが効率的であるという仮説である。
一方、あることがきっかけになり、アメーバーブログで『見えない世界を知る』を1か月前からはじめた。
明らかに、本ブログの『スペシャリストのすすめ』よりも軽い内容で、気負いがない。そもそも事前に調べたり、文献で確認したりもないので、かなりいい加減といえる。文体も『見えない世界を知る』は、「ですます調」にして、本ブログの「である調」は採用していない。たしかに気分は変わるし軽い。内容も飛んでいるものが多いかもしれない。
また、1ヶ月経過して気がついたことは、スピリチャルな世界では多くの女性が活躍しており、どうも巨大な市場が存在しているのではないかという仮説である。これからは「男性性」から「女性性」優位の時代になるというのを聞いたことがある。いわゆる「女性らしさ」の時代である。たしかに、金儲けや権力、名誉など気にしない女性は多そうだし、次の世代に命をつなぐという意味でも女性性の時代かもしれない。地球環境に優しいことをとか、すべての人に良質な教育をとか、あるいは、貧困をなくして世界の人の幸せをとかの発想は、より女性のほうが強くもっているのではないだろうか。
はたして、本ブログと『見えない世界を知る』では、どちらが発展するだろうか。私は双方を行ったり来たりしながら、どちらも楽しみたいと思う。自分の中にある男性性と女性性のバランスをとる活動としてはいいのではないだろうか。どちらも楽しいし、書きたいことも出てくる。苦痛になったら休めばいいし、また意欲がわくときに書けばよい。
この1年で本ブログから『一市民の「コロナ終息宣言」』(アメージング出版、2021年)が出版された。次は『労働者からスペシャリストへ』を出したいと思う。出版社とはこれから交渉である。その次の第3弾は『リモート博士(法学)』でどうだろう。学位を取ってからの話であるが。本ブログから年に一本ずつ書籍化できるのであれば、それは自分にとって価値あるブログになる。ブログのこんな利用法があることはやってみて気がついた。やはりなんでも「やってみなはれ」ということだろうか。