スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

アラブとイスラーム、そしてグローバリゼーション

『一市民の「コロナ終息宣言」』(アメージング出版、2021年)の読者の方から誤りのご指摘をいただいた。読者といっても知人なのだが、それでもありがたい。内容の記述の中にトルコのイスタンブールのことを「アラブの端っこ」と表現した部分があった。それについてトルコはアラブではないとのこと。そのとおりである。トルコは「イスラームの端っこ」であり、アラブの端っこではない。書物を通じて理解していたものの、文章にして運用する段階で、その知識は抜け落ちた。

アラブというのは、アラビア語を話す地域のことであり、その点、明らかにトルコはアラブ世界ではない。トルコではトルコ語が話されているし、イランではペルシャ語が話されているので、独自の文化圏があるということになる。

日本のように一国で一国語の国に住んでいると、中東のような複雑な背景のある地域のことはなかなか理解できない。距離的に遠いということと、イスラーム文化圏に関する情報の少なさや馴染みのなさから、ますます誤った認識を持ってしまう。しかも、トルコという国一つとっても、言語は複数存在しているという。

その辺の事情は、小島剛一『トルコのもう一つの顔』(中公新書、1991年)に詳しく記されているが、クルド語やザザ語などが存在し、それぞれ方言というレベルの違いではなく、相互理解は不可能ということである。今のトルコ政府は、国内に複数言語が存在していることを隠したがるようであるが、13世紀末から19世紀初めまで続いた、オスマン帝国自体は最後まで公用語を持たずに、広大な地域に版図を広げるものの、それぞれの地域の言語も尊重する緩やかな統治を目指していたようである。

イランも同じようにペルシャ語だけでは理解できない世界がある。19世紀に世界を股にかけて活躍したイラン人のビジネスマンの逸話が、坂本勉『イスタンブル交易圏とイラン』(慶應義塾大学出版会、2015年)に出てくる。その商人は通称ハーッジ・サイヤーフと呼ばれ、本人が旅行記も執筆して英訳もされている。そして、サイヤーフはテヘランの北東に位置するアゼルバイジャンに近いタブリーズに着き、現地の商人たちと親しくなると、これまで自分が使ってきたペルシャ語が同じイランでもほとんど通じないという現実に愕然としている。そして、旅を続けていくにはアゼルバイジャントルコ語アルメニア語の知識が絶対に必要だということを痛感させられたということである。

なんだか知らいない世界のことを知ることはワクワクする。世界がグローバリゼーションのおかげで英語だけで生きていける、あるいはビジネスができるなどといわれるが、現地の言葉や文化を学ばないということは、ビールの泡だけ飲んで、ビールを味わったといって胸を張るようなものかもしれない。

それにしても、トルコとイランをみるだけでも独自の文化や言語が存在しているようで興味深い。今年の夏はイスタンブール経由でフランスへ行こうと思っていたが、結局、トルコ航空のフライトがキャンセルになった。その他、いろいろ想定外のことも起き、結局、2年連続渡仏をあきらめることにした。しかし、そもそも行きたかった国はトルコではなくイランだったことを考えると、それはそれでいいのかもしれない。イランへの渡航歴があると、出張でアメリカに行く際に、査証の手続きが煩雑になるという事情もあるし、イランへのフライトが面倒な経路だということも手伝って、トルコになったが、最初の思いは大切にしたほうがよいのだろうか。

トルコとフランスの政治的緊張は続くし、イランの大統領が変わるが、アメリカとの仲も劇的に改善することはないであろう。コロナ禍で右往左往の世界であるが、国ごとの紛争や摩擦は一向に減る兆しがない。しかし、世界は間違いなく新しいステージに向かって進んでいると信じたい。今は生みの苦しみの時期であり、好きなときに好きな国へ旅ができる日がすぐそこまで来ていることを夢みたいと思う。