多くの人にとって英語を学ぶ動機は経済的理由と直結しているかもしれない。英語の運用能力があれば選べる仕事の選択肢は増えるし、実際に高い年収を獲得できる傾向はある。また、日本企業に勤めていたとしても自分の会社が突然破綻しても、外資系企業への転職という逃げ道も確保できる。さらに、一度外資系企業での勤務経験があれば、その企業でうまくいかなくても、別の外資系企業への転職は比較的容易になる。外資系には独特のコミュニティがあるので、ネットワークの中での仕事探しができるわけである。
しかし、それ意外の理由で英語を学ぶ動機はそれほど高くないかもしれない。主観も入っていることを承知であえて言うが、英語圏で美味しい料理が食べられる国はあまりない。興味深い歴史的建造物をみたいと思う街もそんなに多くはない。文学や哲学もヨーロッパ大陸に比べると著名人は少ないように思われる。このような状況で英語が世界を支配するということはないと思われる。あくまでビジネスの言語であり、それ以外のことで英語が世界を席巻することはないのではないか。
過去を振り返っても18世紀にはフランス文化がヨーロッパ全域に広がりドイツやロシアの宮廷ではフランス語が話されていた。小林善彦『フランス学入門』(白水社、1991年)によると、プロシアのフリードリッヒ大王は軍隊に命令する程度のドイツ語しかできず、普段はフランス語を話していたという。しかし、そのフランス語も最近は凋落の傾向に歯止めがかからない。また、ローマ帝国の発展とともに伝播したラテン語はカトリック教会の公用語として使用されたり、ヨーロッパにおける学術の世界の共通語であったりしたが、今はほぼ死語となってしまった。
英語も同じように衰退の道をたどる可能性はある。逆説的であるが、ビジネスの言語として使用され、アングロサクソン的な新自由主義が世界を覆うと、結局、英語ができる者がビジネスの世界を支配しはじめ、貧富の格差が広がる。すでに日本も含めて世界で十分すぎるくらい貧富の格差は拡大しきっているわけであるが、そのような社会で貧困層は英語を学ぶ機会も使う機会もないことになる。「一部の英語話者」対「その他大勢」の構図ができると、その他大勢は英語への投資もままならないので、英語話者の人口は増えないことになる。英語が生み出す貧富の差は、英語が世界に広がることに対してブレーキをかけるという皮肉な現象につながるわけである。日本でも英語学習者の人口は増えているかもしれないが、並大抵の投資ではビジネスで使える水準にはならない。英語人口が急増と騒ぐのは、英会話学校の宣伝文句のみで、英語話者の人口増にはなっていないはずである。英語が公用語のはずのインドでさえも英語話者は全人口の12%程度である。フランスも英語話者が全人口の40%といわれているが、フランスで英語が通じたという経験はあまりなく、日本の状況と大差はない。よって、このままいくといずれ英語という言語は衰退するのかもしれない。ただし、自分が生きている間に次の言語が出てくるというような時間軸で起きる現象ではないであろう。「次の世界語」は何語か。予想するのは難しいが、比較的世界に広がりを持ち話者の人口も増加しているアラビア語の可能性はあるかもしれない。