職人的生き方の時代

自分だけの生態学的ニッチで生きる

「ダイバーシティ」の本当の価値はリスク管理

組織のダイバーシティを促進すると、製品開発やマーケティングなどによい影響を与え、企業のパフォーマンスが向上するという説や実証研究は多い。ダイバーシティを推進している企業の業績が良いのか、業績の良い企業がダイバーシティを推進しているのかは定かではないが。ただし、ダイバーシティリスク管理の向上に資することは確かなように思えてきた。

第二次世界大戦で無謀な戦争に突入した日本軍のことは、今からみれば不思議な決断のように思われるが、当時の日本軍の視点からは当然の決断だったともいえる。当時、陸軍大学校でドイツ語やフランス語、ロシア語を学ぶ者が主流派で、英語を学ぶものは傍流だった。そして、英語を学んだ者の中にはアメリカやイギリスの国力や軍事力を十分理解して、英米との開戦には消極的だったという。アメリカの敗戦直後の調査報告書『日本陸海軍の情報部について』(1946年4月)においては、アメリカやイギリスに対する情報分析が圧倒的に不足していたことが指摘され、軍の指導者はドイツが勝つということを断定し、連合国の生産力、士気、弱点に関する見積もりを過小評価していたとされる。そして、軍の幹部はドイツ語を学んだもので占められ、ナチス・ドイツに心酔し、アメリカやイギリスの実力を甘く見ていたこと報告されている。

当時、現在の中学生くらいの年代を選抜して軍の幹部候補生として教育することを目的とする陸軍幼年学校では、ドイツ語が主に学ばれ、その後の留学先もドイツであった。陸軍幼年学校出身の東條英機も、ドイツ語を学びドイツ軍の勝利を確信していた。そして、首相になった東條英機は、自分の周辺に陸軍幼年学校でドイツ語を学んだ者で固めていった。当然、イギリスやアメリカの実力を深く理解している者の見解や意見は彼のものとには届かなかった。たしかに、戸部良一ほか『失敗の本質』(ダイヤモンド社1984年)という名著でもノモハン事件の分析において、日本軍の砲兵力不足、架橋能力不足、後方補給力不足等と並んで「敵を軽蔑し過ぎている」という点が挙げられている。ドイツという世界しか見えていない者にとっては、アメリカやイギリスの実力を肌で感じることができなかったわけである。そして、もし東條英機アメリカやイギリス留学経験者も自分の側近に登用していれば、また違う結末もあり得たのではないだろうか。旧日本軍の失敗が典型例かもしれないが、組織の多様性を維持することが組織の生き残りに必須であることが示唆されることになる。

もう一点、もう少し最近の例を参考にするなら、2011年の福島原発事故の対応がある。日本企業の多くは、日本政府の情報提供を信じて事の重大さに気づかなかった。放射能による被害は時間の経過を待たないとわからないが、多くの外資系企業は、日本からの脱出を従業員に指示していた。明らかに取れる情報が日本企業とは異なっていたからである。フランスの原子力研究機関であるIRSNやオーストリア気象庁の研究機関であるZAMGは、2011年3月15日のシミュレーションで首都圏の汚染を予想していた。ノルウェーやイギリス、ドイツでも類似のデータが公表されていた。そして、東京の広尾に所在するフランス大使館では、雨によって、3月21日、22日に放射線量の急激な上昇を確認している。それは実測値であるので、シミュレーションや仮説ではない事実である。よって、原発から離れていても風の向きとその後の雨のタイミングで汚染地域は広がることはあったわけである。

この例からもわかる通り、福島原発事故のような危機対応時に日本政府の情報だけから判断することは危険であるということである。組織内で他国から情報を取れる多様性を維持しておくことが、バランスの取れた判断には重要になる。しかし、多くの日本企業の経営陣は、日本政府からの情報を信じて他のルートから情報を取る努力はしていなかったと思われる。あの時、社外取締役に外国出身で全く異なる情報ルートや視点をもった人材がいたとしたら、多くの日本企業の対応は異なっていたかもしれない。将来、もっと深刻な事態に我々が直面する可能性があるわけなので、今からでも情報入手のルートや人材の多様性を高め、リスク管理の向上に努めることが必要だと思われる。

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