スペシャリストの生き方

自分だけの生態学的ニッチで生きる

土着語を学ぶことで得られる深い楽しみ

日本人海外駐在員の語学力が一般的に高くないことは認識されている。秘書がいるし日本人スタッフもいるので現地スタッフとのコミュニケーションもそれほど必要ない。そもそも現地人の上司がいないので語学力は向上しようがない。まだ、日本の外資系企業で外国人のボスがいるほうが語学力は向上するであろう。また、現地の日本企業が相手のビジネスであればそもそも語学力など必要ない。英語圏に何年も駐在しながら、英語の環境に身を置かないで過ごすことが可能なのは非常に難しそうであるが可能なのであろう。

それをいうなら、日本に駐在しているアメリカ人は気の毒なくらい日本語をマスターできていない。現地語を学べばもっと楽しい駐在員生活ができるのにと思うが、彼らの周りには英語ができる日本人が多いので、日本語を学ぶ環境としてはかなりハンディがあるといってよい。とにかくモチベーションを高められないのであろう。

現地語を学ぶ大切さを知る視点で、日清戦争後に中国大陸に駐屯していた日本軍の報告書は興味深い。吉野直也『天津司令部1901-1937』(国書刊行会、1989年)によると欧米列強に比べて日本軍将兵の語学力が低すぎて、現地人との親善も促進できない不都合が報告されている。イギリス軍は外国語を一つ習得すると増給されるし、表彰される制度があることに比べて、日本軍の制度が貧弱で改善すべきことが提言される。ちなみに、共同軍事行動の際には将校の語学力の低さが問題で、作戦行動にも支障をきたすことがあったようである。命にかかわることなので致命的である。

たしかに、命にかかわらなくても、現地語を学ぶことは現地を楽しむという点でも大切である。1999年にルーマニア旅行したとき、出発前に直近まで共産主義の国で英語は通じないので現地語を学んだほうがよいと助言された。半年間で旅行に必要なルーマニア語を学んで旅をしたが、現地の人との交流に役立った。タクシードライバー、鉄道の職員、デパートの店員はほとんど英語が通じない状態で、首都ブカレストの三ツ星ホテルのレストランでさえ英語は通じなかった。

「ヴォルビーツィ・エングレゼーシュテ?(英語を話しますか)」

「ヌ(いいえ)」

半年間に習った丸暗記の表現を利用し、メニューのオーダーから料金の支払いまでしなければならない。そして、移動の時は本当に不安なもので、切符をようやく買えたとしても、その切符に書いてあるルーマニア語が分からず苦労した。

「ダーツィ・ミ・ヴァ・ローグ・ウン・ヴィレート・ペントル・ブクレシュテ?(ブカレストまで切符を1枚下さい)」

「パートル(4番窓口です)」

1番窓口で30分も行列に並び、やっと切符を買えると思ったときに駅員に言われた言葉には途方に暮れてしまった。しかし、現地語を話すことで現地人は間違いなく心を開いてくれていることは実感できたのも事実である。

また、日本人に限らず、どの国の人でも異国を訪れるのであればその国の言語を学んだほうがよい。イギリスに比べて土地が安いという理由で、イギリス人がフランスの地方に土地建物を購入し住むことも多いが、結局、その土地になじめず去ってしまうイギリス人が多い。ビジネスだけなら英語でいいが、日常の生活には現地語が必要なのである。

その点、英語の崇拝者が多い日本人が非英語圏に駐在すると、せっかくの得難い経験を与えられているにもかかわらず、英語だけで押し通す人が多い。非常にもったいないと思う。なぜそのチャンスをものにしないのか。

考えてみると日本もそうである。地方で英語だけで生活するのは無理がある。東京でも英語だけで生活しようとすると、生活費がかなり上がってしまうだろう。地元のスーパーや食堂に行くなら日本語がわかったほうがよい。子どもの義務教育も日本語であり、英語は外国語としてちょっと学ぶだけである。そもそも日本語しか通じない場所にこそ、興味深い日本のカルチャーが潜んでいるわけで、英語しか話せない外国人は、日本の半分も理解できないであろう。どこの国を旅するのも仕事をするのも、やはりその国の土着語を少しでも話せれば、より多くの深い体験が得られることになる。