職人的生き方の時代

自分だけの生態学的ニッチで生きる

海外に行かずに海外の事情を研究する

2008年の金融危機前であれば、会社派遣でアメリカのビジネス・スクールに行く人がいたと思います。その後、会社派遣はほとんどなくなったのではないでしょうか。今となっては、会社が学費を負担して従業員がビジネス・スクールに行くということに違和感があります。会社に対しそこまでの忠誠心のある人がいるのか、ある意味、自分は会社に縛られて生きますと宣言するようなもので、とてもではないですが、私にはできません。

そして今となっては、アメリカのビジネス・スクールで教えていることは、日本の経営大学院でも学べるようになっています。アメリカ留学組と、日本の経営大学院修了組で、ビジネスの現場における活躍に違いはないのではないでしょうか。

よって、アメリカのビジネス・スクールに行きたいという人がいれば、代案として国内の経営大学院も選択肢として示唆すると思います。もちろん、アメリカに行きたいという人を止めるつもりはありません。さらに、英語を軽視するつもりもないし、むしろ外国語は大いに学ぶとよいと思います。

日本の経営大学院に行くと、おそらく修士論文を書く場合があると思います。外国語ができるのであれば、論文で外国語文献も参照した方は間違いなくいいです。論文に多角的視点や、深みを加えるために、日本以外の理論や実情を参照するのは重要だと思います。自分が見えていない世界のことから、ハッとする着想を得ることもできると思うからです。ですから、英語、ドイツ語、フランス語、中国語等の文献を参考文献とできれば、かなり有利だと思います。特に博士論文では、その点、明確かもしれません。

私の場合、博士論文で英語の文献は使いました。フランス語は、研究レベルでは使い物になりません。フランス人と政治的議論をすれば、5分で言葉が出なくなり、ふて腐れて寝てしまいます。

外の世界を参照することの有用性はルネサンスに見ることができます。ルネサンスはイタリアのフィレンツェを中心に、古代ギリシャ・ローマの世界の学問や文化が復興したことを指しますが、意外にもその古代の英知をヨーロッパにもたらしたのはアラブの世界です。十字軍の遠征に参加した人々がアラビアで見たり経験したりしたことは、ヨーロッパ世界にはない高い水準の科学や文化だったということです。

私たちが日ごろ使っている、1、2、3という算用数字も、もともとはアラビア数字といい、アラブ世界からもたらされたものですし、プラトンアリストテレスなどのギリシャ哲学などもアラビア語に翻訳されて残っていたといいます。また、『医学典範』等の体系的なアラビア語医学書も多数存在していました。

ここで興味深いのは、これらのアラブ世界の文化や科学が、アラビア語からラテン語への大量の翻訳によってヨーロッパに持ち込まれたことです。このような活動を通じてこそ、ヨーロッパに合理的な知性が復活したことは注目すべき点です。外の世界との接触があるからこそ学問が発展するということ、異質なものとの接触が次の時代のイノベーションをもたらすということは、とくに島国に暮らす日本人にとって心に留め、積極的に外の世界から学ぶことを求めるべきなのかもしれません。