職人的生き方の時代

自分だけの生態学的ニッチで生きる

アメリカが発明した大学院と学位制度

天野郁夫『大学改革を問い直す』(慶應義塾大学出版会、2013年)によると、実は大学院という制度はアメリカが発明したものだそうだ。そして、学士、修士、博士という三段階学位制度もアメリカ的なものでヨーロッパには2000年以降に浸透し始めたようである。そもそも、ドイツに学位といえば博士しかなかったそうで、その点、日本が戦後にアメリカのシステムを導入したために、すでに三段階学位制度が存在していることになる。そして、大学院というアメリカのシステムは、今やヨーロッパの大学でも設置されるようになり、専門職大学院を代表するようなビジネススクールもヨーロッパにも普通にみられる組織になっているという。

その後、日本でもおびただしい数のロースクール、すなわち法科大学院も開校されることになった。ある大学で法科大学院の設置が検討されたときに、その大学の法学部の教授が、どうして「司法試験予備校を大学に設置しなければならないのか」という趣旨のことを漏らした。法哲学法政策学、法制史などの基礎法学を誰も学ばなくなるという危惧であった。また、実定法にしても金融商品取引法や信託法、保険法などはビジネスの世界でも重要な法律であるが、司法試験科目ではないのでこの分野の専門家は育たないことになる。そのような心配も現実のものとなりつつあり、優秀な学生が法科大学院に進学してしまい伝統的な法学研究科で法学を学ぶ人が減っているために研究者の数が不足しているようである。

法科大学院が制度化されたときにあえて法科大学院は設置せず、伝統的な法学研究科を強化して地道に研究者を養成しようという大学院が現れなかったのは、やはり各大学に経営戦略というものがなかった証左ではないか。たしかに、合格者数を増やすことで目に見えやすい数値的評価に頼るほうが、大学院の良い評判を手に入れるのは容易であるが、多様な研究者を育てて世の中に送り込むのも大学院の重要な使命のはずである。大学院を修了した研究者が学問に付加価値を与える論文を多く執筆できるようになるには、数年、あるいは数十年かかるかもしれない。しかし、それが大学院の歴史を作ることにもなり、多くの研究者が日本全国の高等教育機関で、新たに優秀な人材を育てるための礎になるのではないかと思う。