スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

大学院はリモート博士の時代

論文を書くことが多くなり、一般のテーマで文章を書く時間がなくなった。今年から論文博士を断念し、課程博士に切り替えたからである。しかも学ぶ大学院は、横浜在住でありながら神戸である。すなわち、リモート博士である。これは明らかにコロナのおかげといってもいい。コロナに感謝である。

自分の研究テーマで審査してくれそうな先生のいる大学院を探していたとき、当初は首都圏しか頭になかった。しかし、考えてみると仕事でさえリモートでできるのだから、博士論文くらいリモートでできて当然だと思えた。そして、京都のある私立大学に知り合いがいたので相談すると、保険法の博士論文の指導・審査体制は国立大学のほうが整っているであろうといわれ、さらに別の知り合いを通じて神戸大学につながった。

まったく縁もゆかりもない大学であるが、首都圏だけで研究者を探していたのでは制約があったものが、日本全国から探すとなれば明らかに選択肢が広がった。しかも結果的には研究体制や教授陣をみると、自分のテーマにピッタリのベストな選択であった。

これからは、しっかりした考えをもっている高校生であれば、自分の学びたい研究テーマを極めた研究者が日本のどこにいるかを調べて大学を選ぶ時代がくるのかもしれない。たとえば、北海道の人が九州の大学に入るなどもあるであろう。

もしかしたら、高校生ではそのような成熟した判断ができないかもしれないが、大学院であればさすがに自分の研究テーマについて、その分野の専門家がどの大学にいるのかくらいはわかるであろう。しかも論文指導がメインになるので、リモートでも十分可能である。研究テーマについて一緒に考え探求してくれる研究者を選び指導を受ける時代である。偏差値やブランドで大学を選ぶ時代は、リモート時代にはなくなるのかもしれない。そもそも大学にとってキャンパスを維持するコストは膨大である。たしかに、大学の校風や学生文化というのは、キャンパスから生まれるのかもしれないが、学生を100%収容するための施設は不要なように思われる。

1980年代後半、私が学生であったころ、大講義室の授業など普段は閑散としているのに、試験前になると立ち見が出ることがあった。そもそも履修している学生数を全員収容できていない講義室だったのではないだろうか。そんないい加減な時代であったが、今であれば講義室で授業を受ける人とオンラインで受ける人が混在していてもいいように思う。

アメリカのミネルバ大学などは、キャンパスがないので、全世界から優秀な人材が教授として招かれている。キャンパスまで行って講義する必要がないので、地理的な制約がなく、優秀な教授が集まるようだ。生徒も世界から集まり、世界のいくつかの都市を移動しながら一定期間その土地に滞在して学ぶというユニークな大学である。ハーバード大学を蹴ってミネルバ大学に行く学生も多いようなので、学びのあり方は大きく変わっているといっていい。

よって、日本人が大学院に行こうと思う場合は、自分の住んでいるところから通える大学院という制約を外すことをお勧めする。大学院側にしても全国から優秀な人材を集めることができるメリットがあるので、遠隔地の人をどんどん受け入れるとよい。とくに地方の大学が東京や大阪の人材を受け入れるメリットは、ビジネスの中心地の情報を取り込むよい機会だと思われる。また、全国から学生を集めることができる教員の給与は、当然上がるべきだと思われる。大学院なのでしっかり論文指導できなければ学生も集まらないし、学部のように単位を簡単にくれるからという理由で人気があるという世界ではないので、その点心配ないであろう。

あるいは、海外の大学院であれば、オーストラリア、シンガポール、マレーシア、フィリピン、インド、スリランカなども英語で履修でき、時差もないのでよい。あるいは、時差があるほうがよい場合もある。午前は仕事で夕方から授業であれば、ヨーロッパの大学は最適である。日本の夕方はヨーロッパの朝だから、指導を受けやすい。とにかくコロナのおかげで時代は変わった。選択肢が格段に増えたといっていい。あり得ないということをやってみると、意外にできてしまう時代になったといえよう。