課程博士の最大の問題は大学院生の就職難である。そもそも日本全国の大学にポストもないのに、なぜ大量の博士が生まれたのか。少子化で大学経営も厳しさを増すことが明らかだったにもかかわらず、なぜ多くの人が大学院に進学しだしたのであろうか。
1991年は私が大学の学部を卒業した年であるが、このときが大学にとって大きな転換点になっているようである。当時の文部省大学審議会答申では次のように述べる。まず、1991年5月の答申では、「大学院の量的整備」として「現状は、国際的に比較して極めて小規模。学術研究や人材養成などの要請に応えるため、量的な整備を図る方向」とあり、同年11月の答申では、「大学院の量的整備について」として、「学術研究の進展や社会人のリカレント教育に対する需要の高まりなど社会の多様な要請に応じて、大学院の量的な整備を進めることが求められており、平成12年度の時点で大学院学生数を少なくとも現在の規模の2倍程度に拡大することが必要であることを提言」するとある。
この答申の結果、文部科学省の学校基本調査「平成12年度調査結果の概要(高等教育機関)」によると、大学院学生数は1991年度に約9万8千名から2010年度には約20万5千名に増えており、答申の目標である2倍程度は確実に達成されたことになる。冷静に考えると大変なことであり、大講義室での授業が可能な学部学生ではなく論文指導が必要な大学院生が20年足らずで10万人以上増えたわけである。受け入れ側の体制が本当に整っていたのか疑問であるし、大学をビジネスと捉えた場合は、短期的には論文指導という手間のかかる作業が必要な儲からないビジネスへ積極参入したことになる。
天野郁夫氏の『国立大学・法人化の行方』(東信堂、2008年)によると、なぜこのように大学の本質を大きく変えるような政策の変更を十分議論することなく、当時の文部省が東京大学との協議のなかで内部的に決めたのか疑問であるという。しかも、法学部から他学部、そして他大学へなし崩し的に広がったのは非常にわかりにくい改革であったと指摘している。そして、はっきりしていることは、予算の増額を求める大学と研究大学の大学院の抜本的な改革をはかりたい文部省の思惑が一致していたことだそうである。
たしかに、主要各国と比較すると学部学生に対する大学院学生の比率は極めて低い。たとえば次表の通り、直近の文部科学省「諸外国の教育統計」2018年版から日本、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツのデータで出そろっている2014年を比較しても日本の比率は低いことが理解できる。しかし、同じ2014年の各国失業率もダントツで低いわけで、それなりに大学と社会の関係がうまくいっていたともいえる。なにも大学院生を増やして、失業者も増やす必要はなかったのではないか。少なくとも日本社会においては、大学院を修了することと職業を得ることは連動していない。まずは職を得ることを優先するのであれば、大学卒業後に就職をし、そのあと時間的にも金銭的にも、また精神的にも余裕があれば大学院で学ぶのが手堅いというのが日本のようである。さらに現状をみても学術研究が進化して実績が出ているということでもないし、人材養成においても大学院が貢献しているとは到底思えない状況である。当時の文部省の本当の狙いは何だったのかよくわからないという
のが実情かと思われる。