スペシャリストの生き方

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「論文博士」の起源はドイツやフランスか

仕事柄よくドイツの再保険会社の人と面談することがある。名刺交換すると博士号取得者が多いことに気がつく。先方は普通のビジネスパーソンであり学者でもなんでもない。不思議に思っていたが、どうやらドイツには日本の論文博士に類似する制度があるようだ。ドイツと日本の学術交流を促すための組織であるドイツ科学・イノベーションフォーラム東京のホームページを見ると、博士号取得の方法には次の二種類あるということである。

 

①指導教授の下で個人的に博士論文を執筆する方法

②博士課程に入学し博士号を取得する方法

 

しかも①の方法が一般的だという。そして、どちらも3年から5年かけて博士論文を完成させて学位をとるということ。なるほど、ドイツ人の社会人に博士号取得者が多いことがうなずける。指導教授の下で自立して博士論文を執筆し、指導教授は「ドクターファーザー」あるいは「ドクターマザー」と呼ぶそうだ。なぜ、日本でも同じ制度を導入しないのだろうか。この制度を導入すると課程博士の学生が減り大学の収入が減るからであろうか。

フランスもおなじように論文博士と類似の制度が存在する。フランス政府留学局のCampus Franceによると、いわゆる、フランスには課程博士(doctoral programs)が存在していない。博士号を取得しようと思うものはまず自分でテーマを定め、そのテーマを評価できる審査員を見つける。そして、その審査員の所属する大学の承認が必要になる。そして、承認されると年間登録料を391ユーロ支払うことになる。日本円で5万円程度である。博士論文の執筆期間は、ドイツと同じように3年から6年のようである。なんとも合理的である。自分のテーマを審査してくれそうな審査員を見つけてその審査員に相談し、その大学から承認をもらう。非常に自立した制度であり、5年かかったとしても15万円の費用負担で済むことになる。日本で200万円以上用意しなければならない状況とは大きく異なる。

そもそも、日本の学費は大学でも大学院でも高額である。アメリカに比べれば安いが、ヨーロッパに比べれば信じられないくらい高い。そして、今は国立大学でも私立大学と大差はなくなっている。そもそも社会人であれば自立してスケジュール管理をして研究を継続できるはずなので、わざわざ課程博士に入学する必要もないともいえる。

一方、日本の論文博士は師匠がいない中で孤独に研究して、論文審査は一発勝負みたいなところがある。論文執筆の途中で、ときには学術的な視点から助言が欲しくなることもあるが、基本的には自分ですべて完結せざるを得ない日本の論文博士にはなぜか違和感を覚える。形式のみドイツやフランスから導入し、制度の趣旨は取り込めていないのがわが国の論文博士なのであろうか。碩学泰斗のためにのみある制度であるならいざ知らず、一般の社会人の利用も促すのであれば修正が必要である。また、ますます貧富の差が拡大し続ける日本において、費用的にも誰にでも開かれた論文博士の制度として改定し、より使いやすいものにしていくべきと思われる。一方、指導教授による審査の負担は無視できないであろうから、指導料や審査料という形で博士候補者から徴収することにしたらよいと思う。ただし、課程博士のように3年で200万円を超えるような金額とすべきではないであろう。なぜ、ドイツやフランスのような利便性のある制度を見習わないのか疑問である。