数年前に「文系学部廃止」などという内容の書籍が出版されていたが、文系の学問も「科学」であり論理的思考を鍛えるのに有用である。また、社会で役に立たないということではなく、大いに役立つ学問である。パンデミックについても自然科学の世界の人間だけで政策決定されると社会が崩壊し、人間が生きていくことすら難しくなく。あらゆる学問がバランスよく社会に提言し、最適解をみつけるということも大切なわけで、簡単に文系学部を廃止してもらっては困るわけである。
最近の大学事情を知らないが、私が学生の頃は専門科目の前に、一般教養科目として人文科学、社会科学、自然科学をバランスよく履修させられた。それが何かの役に立ったのかと問われると心もとないが、少なくとも人文科学と社会科学の学問がなくなってもいいなどということは感じなかった。
理系からみると、文系は科学ではないと思われることがあるのかもしれないが、そこは誤解を跳ね返すためにも、文系サラリーマンが博士号を目指すというのもありだと思う。決して情緒や過去の経験だけではなく、理論に基づき仕事をしていることを示すためにも。
博士号については、特に文系だからこそ意識して目指さないとチャンスはない。理系であれば研究職の人が大学に論文のみ提出して学位だけ取得する「論文博士」の機会はあるであろう。しかし、文系の論文博士は果てしなく難度が高く、文系は修士すら多くはないので、さらに距離感がある。
しかし、多くの人が20代前半から60代前半まで40年以上サラリーマンを続けるとするなら、どこかで博士号の挑戦は可能なはずである。もちろん、退職後から目指すことでもいいであろう。実際に95歳で博士号を取得したフランス文学者や、縄文布の論文により88歳で取得した女性もいる。しかし助走期間はできるだけ手前で、しかも長く確保しておく方が賢明である。
特に文系の場合、博士号の取得は長期戦になることが多い。40年のサラリーマン人生でも足りないこともあるので、着実な準備が必要である。滑走路が短くて飛行機が離陸できないということも起こり得る。
私の場合、33歳の時に博士課程の社会人大学院を受験したことがある。なぜか試験当日熱を出して、筆記試験と面接を受けたものの、何を書いて何を話したかすら記憶がないほど大変な思いをした。もちろん不合格で、今考えるとまだタイミングではないという「シグナル」だったのかもしれない。
その後、結婚して子どもも3人できたので、博士号のことはやや忘れかけていたが、43歳のときに共著ではあるものの、書籍を出版する機会があり、また博士論文に挑戦しようと思い始めた。そして、業界の機関誌や学術誌に30本近い論文を投稿し、そのいくつかをまとめて、50歳の時にある大学に論文博士を申請してみた。その大学の名誉教授に勧められての申請だったので、大丈夫であろうと思ったが、見事に不可であった。文系の論文博士は課程博士と比べて相当難しい。そごうの会長だった水島廣雄氏は、41歳の時に論文博士で博士号を取っているが、1951年当時でもっとも若い法学博士ということ。このような例外はあるものの、水島氏のような超人は別にして、普通の人にはかなり難しいことであろう。
そして、もうあきらめたほうがいいのかと思っているうちに、パンデミックがはじまった。それまで、首都圏の大学しか考えていなかったが、ある人の提案で、はるかに遠方の神戸の大学院に通うことになった。通うといっても基本はリモートである。ある意味、パンデミックのおかげの部分が大きいが、自分の論文テーマを審査してくれる先生が神戸にいらしたというご縁である。学位が取れれば、パンデミックを逆手に取った「リモート博士」ということになる。
振り返れば、33歳から20年が経過していることになるが、それくらい長期戦であるし、途中で休戦も入る可能性がある。そのように考えると、長期的な一大事業であると考えてもよい。しかし、人生100年時代と考えるのであれば、やってみて損はない事業だと思う。