スペシャリストのすすめ

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メディアの「プロパガンダ」を疑う

上海に在住している弁護士の森脇章氏が、大林啓吾編『コロナの憲法学』(弘文堂、2021年)のコラム「中国 ー 徹底した強制型アプローチを支える自由と秩序の観念」で、中国の報道について次のように描写する。

中国政府や関係部門の広報として、新型コロナウイルスとはどのようなものか、どのように重篤化するのか、感染メカニズムはどのようなものか、感染防止に有効な対策とは何か、といったことが、テレビ、ラジオ、新聞、ポスター、道路の横断幕、チラシ、ウェブサイト、SNS、エレベーターの中の液晶画面等、ありとあらゆる媒体を通じて何度も丁寧に伝えられる。

また、報道番組では、封鎖された都市に派遣される医療従事者とそれを涙ながらに見送る家族、防護服に身を包まれ夜を徹して徹夜の消毒を行う労働者、封鎖された都市に食料物資を運ぶ物流業者をドラマチックな音楽を背景に映し出すドキュメンタリータッチのシーンがいくつも流される。まるで出征兵士を送り出すドラマのワンシーンのようであると。

これが中国の報道スタイルで、国民が一致団結して対策に取り組むことを促すことになる。政策を批判する意見は一切報道されることなく、SNSの投稿も政策を支持するもののみが残される。

このような中国だからこそ、武漢では予告なしの都市封鎖が行われ、そこから脱出する者がいないように、警察や軍がまるで軍事作戦のように幹線道路や高速道路が一斉に封鎖した。立憲主義国家ではあり得ないこのような施策に対しても、報道機関は批判することもなく、すべては正当化されることになる。

しかし、冷静に考えてみると、日本の報道機関と中国のそれと大きく違わないのではないだろうかということが、今回のパンデミックでそこはかとなく気がつくことになった。同じ報道が何度もなされ、同じ映像や同じ写真が利用される。その出所は報道機関のために情報収集して配信する通信社であったりする。

おそらく、やけに同じ映像や写真を見かけるということに、今回のパンデミックの報道で気がついた人は多いのではないだろうか。視聴者や読者にある一定の考えを刷り込むようなことが行われていないだろうか。そして、不都合な意見や情報はすべて隠される、あるいは検索してもなかなかみつからない。これこそ「プロパガンダ」そのものではないだろうか。あらためて、三省堂辞書ウェブ編集部の説明を確認するとプロパガンダとは次のとおりになる。

プロパガンダ(propaganda)とは、特定の思想によって個人や集団に影響を与え、その行動を意図した方向へ仕向けようとする宣伝活動の総称です。特に、政治的意図をもつ宣伝活動をさすことが多いですが、ある決まった考えや思想・主義あるいは宗教的教義などを、一方的に喧伝(けんでん)するようなものや、刷り込もうとするような宣伝活動などをさします。要するに情報による大衆操作・世論喚起と考えてよく、国際情報化社会においては必然的にあらわれるものです。今日その方法は、必ずしも押しつけがましいものではなくなり、戦略化し巧妙なものとなってきています。」

もし日本のメディアあるいは世界のメディアが、中国のそれとさして違いはないと思う人がいるとするなら、おそらく、Yahooニュースの記事に接して100%正しいものとして受け取らないであろう。検索エンジンGoogle や Yahoo は使用せず、DuckDuckGo(ダックダックゴー)などを利用しているかもしれない。そうすることで、かなり違う世界がみえてくる。Google や Yahoo は、私たちが知りたいと思う情報で、彼らの利害関係者にとって不都合なものは検索の上位にはでてこないことが多い。試しに社会的にセンシティブなキーワードで、GoogleDuckDuckGo の検索結果を比較してみるとその違いがわかるであろう。

私たちはこの巧妙な情報操作に対して対抗手段を身に着ける必要がある。知らないうちに自分が見えている世界は、他者によって作り上げられた世界になっているかもしれない。自分の見える世界をできるだけ偏りがなく、中立的に維持するためにも、報道機関による戦略的な情報の刷り込みを排除する術を知る必要があると思う。大衆操作や世論喚起にまどわされることなく、自分の人生のタイムラインは、自分で作っていくためにも。