職人的生き方の時代

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子どもの教育費を使い博士号

2023年3月7日、神戸大学大学院法学研究科博士課程後期課程修了者が発表されました。自分の学籍番号も掲載されていましたが、私は3月16日まで気がつきませんでした。翌週には学位記授与式が開催されるので、大学院の事務に問い合わせたところ、大学のイントラネットですでにお知らせが配信されているとのこと。あわてて確認したら自分の学籍番号が掲載されており合格を知ったという経緯です。

ちょうど今年は、長男が大学受験で、長女が高校受験でした。二人とも第一志望の学校に合格して、あわただしい日々が過ぎており、自分自身の博士論文の合否に神経がまわりませんでした。二人の子どもが合格で、大とりのおやじが不合格というのはまずかったわけですが、おかげさまですべてハッピーエンドとなりました。しかも、これ以上、子どもの教育費を親が使い込むわけにはいかなかったので、ちょうどよいタイミングでもありました。

このような状況で博士(法学)の学位が授与されることになったわけですが、振り返ってみると、博士論文の一部の章になる部分を書き始めてから8年が経過していました。とても長い年月が過ぎており、やはり文系の博士号の取得は難しいのかと思う人も多いと思います。結論を申し上げますと、簡単ではないでしょうが、誰もが楽しみながらゴールをめざせるものだと思います。

ですから博士号を考えている人はあきらめないで欲しいと思います。「どうせ私は」とか、「どうせできるわけがない」という、この「どうせ」という考えは捨てた方がいいでしょう。常に自分に限界を設けてしまう言葉になります。博士号を取得するのは、誰が決めるのかは自分自身です。もちろん、審査する教員はいますが。そして、10秒で博士号の本質を説明してくださいといわれれば、次のとおり述べます。

① 文系の博士号は想定以上にハードルが高い
② ただし、楽しみながら目標に向かえば誰でも実現できる

社会人として自分しか知り得ない経験を理論化し、客観的な記述を徹底していくと、単なる経験が普遍化してきます。そして、その分野のことを知りたいと思う人にとって参考となる博士論文ができあがります。

誰もがオンリーワンの経験があるので、それをぜひ論文として仕上げてみることをおすすめします。テーマも自分の仕事で培ったノウハウにするとよいと思います。人によっては機密情報が気になるという人もいますが、それはまだ十分に客観化できていない証拠です。単なる体験談ではなく、論文のレベルに昇華させるには、多くの先人の研究を参照し、そこから自分の経験の理論化が必要になるのでしょう。

最後に法学の博士号の目途が立ったころから、今度は情報学に興味が出てきました。サイバー保険に関する論文を5本ほど書いたものの、満足いく内容ではなく、冷静に考えてみると情報セキュリティに関する知見が明らかに不足していることが理由だと思うようになりました。しばらくは、子どもの教育に資金を確保することが優先でしょうが、また目途が立てば、情報学の博士号も考えてみたいと思います。死ぬまでやることがあるというのは、ある意味で幸せかもしれません。