職人的生き方の時代

自分だけの生態学的ニッチで生きる

個人の幸福より社会の効率を求める教育システム

パンデミック社会がなかなか終わらない日本です。マスクは社会の風景を大きく変えるし、視覚的にも異様な世界をつくり出すので、いつまでもパンデミックが継続するような錯覚をもたらします。ヨーロッパの各国は、とっくに次のステージに進んでおり、様々な課題に対して、議論がシフトしていますが、なぜ日本だけ同じ場所にとどまっているのでしょう。

その一つの要因に日本の教育制度があると思います。すべての日本人は、義務教育から独特のシステムの中で育てられています。どのような人材に育てられるかというと、社会にとって最も効率が良い人材です。本来であれば、個人の幸福のために教育があるのですが、社会の効率のために個人を教育するのが現実のシステムでしょう。

一番わかりやすいのは、先生の言うことを聞く生徒がいい生徒です。先生は、先に生まれたというだけですから、先生と違う意見や考えを持つのは、まったく問題ないはずです。しかし、日本の教育システムでは先生の意見に服従というのが望ましいわけです。

パンデミックの間、どれだけに日本人は医者や政治家、そしてその他専門家の「先生」のいうことを聞いてきたでしょう。多くの人は反論したり異論を唱えたりすることもなく、自分の心の中で疑問するら抱くことはありませんでした。日本の教育システムが非常に機能しているという証拠だと思います。

私は論文を執筆するので、よく編集部の方から先生と呼ばれます。とても気分がよくないので、できれば「さん付」けでお願いします、とお伝えします。なぜ気分がよくないのかというと、ある人が、人は「先生」と呼ばれるようになったら終わりだということを聞いて、何となく納得するものがあったからです。たしかに、日本社会において先生と呼ばれ続けると、その人の人格や態度も変わってくるのではないでしょうか。だから先生と呼ばれないように、さん付けで呼ばれたいというのは、自分を守るために必要です。ここを踏み外すと、人生よからぬ方向に向かいます。

そして、単に先に生まれた人の意見には服従するという規範は、世の中には先例がない問題や、時代の変化で過去の事例が現時点で通用しないことがあることを考え合わせると、非常に不合理なわけです。しかし、日本では忠実に過去の教育システムを維持しています。それが日本社会にとって都合がいいからでしょう。社会を支配する側にとって最も機能的なわけです。

そして、この教育システムはあらゆる組織を維持するために完璧に機能してきました。学校はもちろんそうですが、会社や組合、その他団体です。軍隊組織としての自衛隊などもそうでしょう。しかし、これからあらゆる組織が崩壊し、個々人が横につながって生きていくような時代になると、あるいは、すでにそのような時代に突入していますが、この教育システムは機能しなくなります。

そして本来、日本の大学教育は、このピラミッド社会から抜出すために機能するはずですが、残念ながら大学に入ってから学ぶ日本人は少ないので、結局、組織にとって忠実な人材のままで終わります。ですから、いつまでたっても個人の幸福感があじわえません。これで、大学では勉強しない、学ばない、考えないというとにしておき、ますます管理する側、支配する側にとって都合のよい人材を量産することになるわけです。よって、多くの人が高等教育などを通じて社会システムの矛盾や、裏の仕組みに気がつくことが、日本を変える原動力になると思います。そういう意味で、これからの高等教育の役割はかなり重要になってくるのではないでしょうか。