職人的生き方の時代

自分だけの生態学的ニッチで生きる

近い将来大学は崩壊し再生する

選択と集中」、「競争的研究費」、「ガバナンス改革」、「グローバル教育」、「国際的卓越大学」など、まるでビジネスにおける経営戦略でも語るかのように、大学のあり方についても言葉が躍っています。ところが、このようなビジネスの世界の概念を高等教育に導入してしまうと、現場は疲弊し壊れてしまうようです。

田中圭太郎『ルポ 大学崩壊』(ちくま新書、2023年)を読むと、あまりのひどさに、寒気がしてきます。国立大学が法人化したことにより、学長による独裁的な支配が横行しています。私立大学では、理事長や学長による大学の私物化が生じています。また組織内部ではハラスメント事案が頻発したり、事件を捏造して、教員を懲戒解雇に追い込んだりと、かなり悪質な、あるいは犯罪といってもいいような事態が生じています。さすがに、民間企業では聞かない内容が満載です。

その原因となっているのが、一連の大学改革といっていいでしょう。大学の自治というものは見事なまでに骨抜きにされ、教授会という比較的バランス良く機能していた合議制の組織は権限を奪われました。そして、学長に権力が集中してしまいます。さらに、その学長を裏で支配するのが文科省になります。文科省の言うことを聞かない学長は、あらゆるスキャンダルを捏造され、失脚させられます。本当に日本の高等教育は壊れていくようです。

また、大学とは本来、時間をかけて次の世代に知識や知恵、ノウハウを継承していく必要がある「場」です。民間企業のように四半期決算の数字作りに追われるような場所ではないはずです。しかし、短期的な業績評価を求めると、教職員はそのプレッシャーに耐えかねて、弱い立場の人に威圧的になるのでしょう。余裕がない人こそ、ハラスメントに走るのはありがちなことです。

さらに、大学の研究室は空間的にも閉ざされ、外の人とのネットワークも切断されていることが多いです。民間企業であれば、同じ組織の異なる部門との交流や、取引先とのつながりがあるので、比較的開かれています。そのため万が一、ハラスメントを受けた場合も逃げ道が多いものです。その点、大学の場合はハラスメントを受けた被害者は追い詰められることも多いのではないでしょうか。

今、日本の大学は、まさしく崩壊しているようです。しかし、悲観することはないのかもしれません。この崩壊が極まったときに、組織が浄化されて、新しい開かれた世界に発展していくのではないでしょうか。ちょうど今の時期は、悪いものがあぶり出されて、様々な事件が表面化している段階ということです。少なくても独裁的な教育者が追い詰められているからこそ、権力を濫用し、私利私欲のため、自分の思い通りに物事を進めようとしているのです。ですから浄化のプロセスとしては順調なのかもしれません。

そして、おそらく大学改革の最後のとどめが、今話題の大学ファンドかもしれません。卓越大学に認定した大学を統制しようと文科省が動けば動くほど、不祥事が発生し、大学は疲弊していきます。お金をやるから成果を出せ、言うことを聞け、というような制度なわけです。そして、まともな人材はその場を去っていくことでしょう。

その結果、残された人材は、成果や業績達成を急ぐあまりに、不正に満ちた研究を行い、その組織は衰退していくことになります。そのように考えると、私たちにできることは、できるだけそのような組織から距離を置き、当事者にならないように注意することかもしれません。親も子どもの大学選びにアドバイスをするのであれば、偏差値やブランドだけではなく、大学崩壊の実体も踏まえた内容とすべきだと思いました。社会人が大学や大学院を選ぶ時にも注意が必要でしょう。それぐらい、田中氏の書籍の内容は寒々とするものです。ただ、その先の光をみるよにしたいものです。先にも言ったように、浄化のプロセスだと思うからです。