職人的生き方の時代

自分だけの生態学的ニッチで生きる

大学の序列付けにみる東京の貧しさ

受験シーズンですが、自分の子どもが大学受験なので、書籍やネットでいろいろ調べる機会がありました。そこででてくるキーワードに「早慶上智」、「MARCH」、「日東駒専」、「大東亜帝国」、「Fラン」などがあります。いずれも東京に所在する大学がほとんどなわけですが、勝手に順位付けして、喜んだり、さげすんだりしています。記事を読んだり動画を視ていると、あまりにも貧しい価値観に出くわし、子どもたちには、そのような世界観に縛られて欲しくないと思いました。

なぜこんなことを書こうと思ったかというと、リンクの「マスクド先生の受験必勝法」というチャネルの「偽らざる本音・私の好みの大学」の動画を視たとき、素直に同意できたからです。子どもの受験情報を探しているときに、目に留まりましたが、あらゆる助言が渋くてクールです。相当、失敗や苦労を重ねた方なのだと思います。

(2) 【偽らざる本音・私の好みの大学】 - YouTube

特に東京では、偏差値だとか、就職率などに、重い意味付けをすることが多いと思います。大学選びで何を専攻するのか、どのような教授が教えているのか、どのような分野で先端的研究がなされているのか、どのような伝統があるのかということはほとんど話題になりません。はっきり言ってどうでもいいのでしょう。序列付けのような狭い世界の話で一喜一憂しているこの価値観の貧しさというものはどこからくるのでしょうね。しかも今回、私の子どもは、より偏差値の高い大学2校に合格するものの、そこよりはるかに低い2校に不合格となりました。これでは、当たり外れレベルのゲームでしかありません。しょせん、ゲームだと考えることに面倒な受験を乗り切る知恵はあるとは思いますが。

日本であれば、あるいは東京であれば何か重要な価値基準なのかもしれませんが、入学試験も偏差値も存在しない、ヨーロッパのいくつかの国々からすると、どこもただの大学でしかありません。そこにランキングもなければ、入試難易度もなく、あるのは厳しい卒業要件と学問の質です。

世界大学ランキングなどもありますが、あれは高等教育をビジネスにしている英語圏の国の煽りの道具です。見れば、ランキング上位の大学はほとんど英語圏の大学です。彼らに、他国の大学の質を評価できるはずがありません。一方で留学生を集める指標としては便利なことでしょう。

また、日本であと20年もすれば、ほとんどの私立大学は入学試験なしで入れる高等教育機関となります。そのとき、入学時ではなく、卒業時にどれだけたくましい生き方ができる人材を輩出できるかのほうが重要になっているのではないでしょうか。

自分も若い頃、東京は豊かで文化の香りがし、圧倒的に高付加価値な情報が集積された最先端の街だと信じていました。実家の北海道になど戻るわけがないと確信していました。しかし、時が経てば自分の考えも成熟してくるし、東京の浅薄な価値観に染まることもなくなります。

極論かもしれませんが、東京という街で人生を楽しむには、お金が必要です。たとえば、フランスなどは、多くの人がピクニックを楽しみます。公園も大きいし、緑も豊かなので、楽しめるわけです。それで幸せや豊かさを感じることができる。もちろん、パリは少し違うかもしれませんが、それでも東京に比べると、そのような楽しみ方ができる十分な空間はあるし、人々の気質も柔軟です。単一の価値観に染まることはないでしょう。このような違い、あるいは東京の特殊事情が、お金に紐づけられた大学の序列にこだわる風潮を作り上げるのかもしれません。

たしかに、東京でピクニックでもしていれば、お金がなくてレストランに行けないか、住む場所がない人が公園で食事でもしているかと思われるかもしれません。そこはかとなく東京はその他の土地と「豊かさ」の定義が違うのかと考えさせられます。もちろん、いいところもあるのは認めますので否定はしません。しかし、家庭を持って、子育てもしていると、東京の閉塞感から解放されたいと思うようになります。

そして、動画で絶賛されている関西に行くとホッとします。それは、関西で生活しているわけでなく、単なる来訪者だからかもしれませんが、やはりオーラや「氣」が違うように感じます。そのような直感はどうも私だけではないのだと思ったのが前述の動画でした。