橘木俊詔氏の『日本の教育格差』(岩波新書、2010年)のレビューがPDFで読めたので参考まで(私は読んだことがない本です)。
橘木氏は、日本の教育格差の拡大について警鐘を鳴らしている方です。兵庫県出身にもかかわらず、小樽商科大学に行かれて、その後、アメリカの大学でPh.D.を取られ研究者になられた珍しい方です。私は札幌出身なので小樽商科大学を知っていますが、官立の高等商業学校で、昔は全国から学生を集めた、今は意外と知られていない名門校です。高校生の時はビジネスマンになるつもりはなかった私は、まったく進学を考えもしませんでしたが、結局ビジネスマンになっています。自分の住んでいたすぐ隣の街にこんな良い学校があったのに素通りしており、人生は不思議なものです。
そして、橘木氏は別の本かメディアで、ビジネススクールのことについて言及していたことを思い出しまし。立場上、日本のビジネススクールの多くの教員との交流があるのでしょう。いろいろな情報を整理すると、入学してくる学生の質が低いという指摘をしていました。おそらく、日本の企業組織の中で出世コースから外れ、競争優位がないと自覚している人がMBAを取りにくるのだろうと。そして、出世コースにいるエリートは、社内で十分な役職や教育機会を与えられているので、わざわざビジネススクールに行く必要がないと考えているのではないかということです。
日本の組織内エリートの質が高くて、ビジネススクールに行く人の質が低いというのは本当でしょうか。たしかに、何の準備もせず、ビジネススクールがどのようなところか調べもせずに行く人はいるかもしれません。しかし、私は観察していてどちらも差はないと思います。組織文化によって違いはあるでしょうが、たとえば、社長がタバコを吸う組織であれば、タバコを吸う人が出世する傾向はないでしょうか。これは一例に過ぎませんが、昔と違い、今はどこでもタバコは吸えません。喫煙室に行かざるを得ませんが、そこで会話ができる人が出世するということはないでしょうか。酒の席もそうですし、ゴルフもそうです。トップと同じ嗜好があれば、比較的出世コースに乗れる機会があるというその程度のものではないかと思います。しかし、その社長がトップである限りという条件が付きますが。
また、これからのビジネスマンは、別の組織に転職しても即戦力になることが必要と考えると、トップの嗜好に合わせて、何とか生き延びるという姿勢では、なかなか厳しいと思います。ある程度、汎用性があり、組織の外からも評価される技術を身につけておかないと、キャリアに安定感が得られません。今の組織でエリートといわれる人が、他の組織でも同じ成果を出せる保証はないというケースが多いのではないでしょうか。
また、仮に出世して、役員あるいは部長になろうが、結局、退任あるいは退職してしまうと、タダの人ということも多いです。稀にリタイヤしてから活躍し出す人もいますが、10年も20年もかけて準備している人が多いようです。そういう人は定年延長を選んでいない傾向がありますね。
やはり汎用性のある技術を身につけるために、ビジネススクールである必要はありませんが、専門性を磨くということは、組織内エリートであろうが、そうでない人であろうが必要なことのように思います。その一つの手段として社会人大学院の活用があるということだと思いました。