スペシャリストのすすめ

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「リスキリング」で得をするのは誰か

リスキリング(reskilling)という言葉が注目されるようになりました。和訳するなら技能再教育という意味ですが、リカレント(recurrent)教育と何が違うのでしょう。リカレントは回帰教育などと訳され、社会人の継続的な学び直しの文脈で使われることが多いと思います。

一方、リスキリングは、経済産業省リクルートワークス研究所「リスキリングとは - DX時代の人材戦略と世界の潮流 -」(2021年)によると「新しい職業に就くために、あるいは、今の職業で必要とされるスキルの大幅な変化に適応するために、必要なスキルを獲得する/させること」と定義されています。そして、リカレント教育とは違うと断言しています。少々上から目線的な定義ですが、リカレント教育は労働者が自発的に学び直すのに対して、リスキリングは企業が労働者のスキル構築のために教育プログラムを提供することになり、労働者からすると「やらされ感」のある受け身的な印象がないでしょうか。

私はリスキリングに対して距離を置き、労働者として使えるところは大いに活用するとしても、やはり自発的なリカレント教育を重視していくべきではないかと思っています。まず、リカレント教育は自分で自身のキャリアを考えて、何を学ぶべきかを自発的に見出していきます。しかし、リスキリングが、会社が必要と思う技能を労働者に身につけさせるわけで、会社主導になります。もしリスキリングのゴールが誤っていた、あるいは当人に合致しなかったとしても、おそらく会社は責任を取らない、あるいは責任を取れないでしょう。

一方、リカレントは、自己責任で学ぶべきテーマを決めて、それに投資していくことになります。結果に対しても自分で責任を取らなければなりません。どちらが、効果的な学習で、より成果を出せるかは、おそらく想像がつくのではないでしょうか。よって、リカレント重視という結論になりました。

また、リクルートワークス研究所「リスキリング ー デジタル時代の人材戦略 -」(2020年)には、もっと詳しい説明と事例があります。たとえば、リスキリングなくしてDX(デジタルトランスフォーメーション)の成功はないとか、リスキリングは生き残りのための重要戦略などと説明されます。

そして、世界経済フォーラムの発行したレポート "Towards a Reskilling Revolution" (2018)を紹介し、組織的にリスキリングに取り組めば、失職するおそれのある人々の95%が新しいキャリアに就け、何もしなければ2%の人しか新しいキャリアに就けないなどとも解説されます。まるで脅しのようにリスキリングを押し付けてきます。さらに、2020年1月の世界経済フォーラムの年次総会では、「2030年までに世界で10億人をリスキルする」ことを目標に、政府、ビジネス界、教育界の垣根を越えて様々な国の政策実験や企業の取組みを連携させるといいます。

さて、ここで利を得るのは誰でしょうか? これらのレポートを作成したエリートたちではないでしょうか。コンサルティング業界にも価値があるのか不確かながら、多くのビジネスが創出されると思います。教育界でも新しい教育機関の設立など、良いビジネスチャンスは増えることでしょう。よって、本当に利を得るのは、労働者なのか、会社なのか、と考えたときに、実はその裏にいるエリート層ではないかということが読み取れるわけです。深く読みすぎでしょうか?

リスキリングは、デジタル時代に適応するために必要な能力を身につけさせることが目的であることは理解できます。たしかに、DXは重要なテーマなので、あらゆる労働者にとって適応しなければならない課題であることもわかります。しかし、それは自分で必要な技能は何かを見出して、どのように対処すべきなのか、自身で考えていかなければならないのではないでしょうか。

その点、リスキリングに対して私自身は警戒感をもっています。たとえ会社が提供する教育プログラムをすべて受けるとしても、その会社の外で通用するスキルが身につくかは保証されません。前出のリクルートワークス研究所のレポートには、アメリカのAmazon社の事例が紹介されています。従業員一人当たり、約75万円投資し、データマッピングスペシャリスト、データサイエンティストやビジネスアナリストなど高度なスキルを持つ人材を養成するということのようです。それは会社として立派なことだと思いますが、労働者の自立あるいは自律につながるでしょうか。結局、会社に従属的な労働者をつくることになってしまうようにも思えます。そして、世界のエリート層の思惑のまま、労働者層はリスキルされてしまうということなのかもしれません。