10兆円規模の大学ファンドを創設し、運用益を大学支援に充てるという、国際卓越研究大学制度といものがあります。文部科学省が発表した基本方針によると、2024年度から認定大学に対して利益が分配されることになります。この制度に対しては、すでに1,700名もの大学の教職員が反対の署名を提出しています。理由は、学問の自由や大学の自治が脅かされるからということのようです。この点、私も同感です。
まず、ある一部大学の支援を厚くすることで、日本の学術が振興されるとか、科学技術立国を実現できるという考え自体が疑わしいです。たとえば、ある企業の一部署に優秀な人材を集めて、予算を多く配賦しても、その企業の業績は上がりません。組織全体の実力を底上げしなければ、業績向上の実現はおぼつかないでしょう。
地方の大学では、研究施設や設備の更新もままならず、研究体制が明らかに首都圏の大学より劣っているところがあります。そのような大学も徹底的に支援し、研究予算も配分していかなければ、日本の大学間の格差は広がり、全体的な実力は地盤沈下してしまうと思います。
文部科学省は、そのような実態を知らないのでしょうか。また、日本全体の研究力の底上げに「選択と集中」が有効だと信じているのでしょうか。おそらく彼らは地方の大学の実態も知っているし、選択と集中に実効性があるとはいえないことも知っていると思います。それでは、なぜ大学の10兆円ファンドなどという話が出てきたのでしょう。おそらく、国家による大学の管理強化と御用学者の養成、そしておまけとして官僚の天下り先の確保というような狙いがあるのではないでしょうか。
卓越大学に認定されると、産学連携や寄付などで年3%の事業成長の達成や、大学の最高意思決定機関として過半数の学外出身者からなる合議体の新設が求められます。そして、認定大学の選考は、首相が議長を務める内閣府総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)の意見を踏まえて行われます。これだけの条件を課せば、時の政権による認定大学への介入は容易になることでしょう。
中央公論二月号の特集で、大学10兆円ファンドについて各大学の学長の見解が出ていました。電気通信大学の学長は、「大学の多様性や自由を奪う危うい制約である。この前提条件が見直されない限り申請しない」といいます。金沢大学の学長も、「いわゆる『稼げる』研究分野が重宝されることは明白である。基礎研究分野や、人文科学分野に代表されるような、中長期的な視点を持つことが重要な研究分野が存在することも忘れてはならない」と指摘します。
その通りだと思います。日本の学術研究の裾野が広がらない限り、全体の実力向上にはつながりません。また、短期的な業績だけ追い求めると、次世代への基礎研究の継承が成り立ちません。さらに、大学単位で利益を配布されると、その大学に勤務しているというだけで受益者となり得る研究者が出てきて、インセンティブにならないということもあるでしょう。研究者個人あるいは研究室に配分されるわけではないのであれば、タダ乗りする研究者が出てきてもおかしくありません。
以上のように、10兆円ファンドに申請する大学は、学問の自由や、大学の自治への国家による介入のおそれがあることを踏まえる必要があるかもしれません。パンデミックの3年間でも、まるで政府の広報担当のような役割を果たした御用学者が何人かいまたが、そのような非科学的な発言を臆面もなくできる研究者を増やす施策になるのではないかという懸念があります。
別の観点では、本当にやりたい研究を自由にやらせてもらいたいと思う研究者は、認定大学をあえて避け、非認定大学において自力で外部研究資金を獲得していく、あるいは少額な資金でも十分研究が成り立つ分野を選ぶ工夫も必要なのかもしれません。いずれにしても手放しで賛同できるファンドではないことは確かなようです。