職人的生き方の時代

自分だけの生態学的ニッチで生きる

縄文人が戦争をしなかったのは狩猟生活のおかげ

糖質制限からみた生命の科学について論じられた、夏井睦『炭水化物が人類を滅ぼす』(光文社新書、2013年)を読んでいて、縄文人が争いをしない人類であったということについて仮説が浮かびました。本書の本題は、雑食である人類は、穀物を食べるようにはできていなので、穀物を摂ることによって、糖尿病を含む様々な病気を引き起こしているという点にあります。しかし、後半において農耕の起源を探求する章に出会い、いくつか興味深いヒントをいただきました。

まず、縄文時代の人々は、狩猟生活だったので定住はしていませんでした。よって、他者と争いが起きそうになると、その場から避難することができたということです。非常に機動性が高い人たちだったことが幸いし、殺し合いの戦争に至るまで他者と対峙することがなかったわけです。

ところが、狩猟生活から農耕生活になると、ある土地に定住する必要が出てきます。また、農耕に適した土地は限られているので、多くの人が同じ地域に一緒に暮らさざるを得なくなります。そこでは都市が形成され、文化も醸成されることになります。しかしその反面、騒音の問題や排水・排泄の問題、土地の境界線の問題など、現代社会にも存在する様々な課題が出てきます。

その結果、決まり事、すなわち法律が必要になります。そして特に、土地に代表されるように、モノの所有権の概念が構成されていきます。日本の民法にも物権法といい、不動産や動産などの概念を規定して、権利義務関係を整理し、紛争が生じた場合の処理方法なども決められています。農耕生活のせいで、争いごとを処理する様々なルールが必要になったわけです。

しかし、このような法律が縄文時代に必要だったでしょうか。農耕生活をしていなかった縄文人には、所有という概念がなく、土地・建物に代表されるような不動産の定義なども必要なかったのでしょう。もし他者が、自分たちの領域に侵入してきた場合は、自分たちが移動して、別の狩場を探せばよいだけです。

しかし、農耕生活をしていれば、そのようにはいきません。自分が耕し、タネを植え、穀物を育てて収穫をする。ある程度の期間を要するプロジェクトが毎年走るわけなので、途中で引っ越しできないわけです。よって、一つの土地に執着して留まる必要があります。

このようなことを考えると、私たちは一見、農耕生活の方が、狩猟生活より高度な生活形態だと思いがちですが、かなり疑わしくなります。「日本人は農耕民族だ」という台詞もよく聞くことが多いわけですが、本当に農耕生活のほうが賢い生活術なのでしょうか。場合によっては、農耕民族は平和な人々で、狩猟民族が野蛮な人々という思い込みもないでしょうか。

現代の生活でいえば、「いつかはマイホーム」といわれるように、住宅ローンを借りてまで、家やマンションを買う人が多いわけですが、想定される数々のトラブルを考えるだけでも、もしかしたらかなり不合理な生き方なのかもしれません。

どれが正しいかはわかりませんが、歴史的に人々が定住することで、戦争が起きたわけですし、複雑で高度な法律やルールも考案しなければなりませんでした。一方、すべては天が与えてくれた恵と考え、魚を採ったり、小動物を捕獲したり、ドングリやクルミなどを食べて、その日その日を感謝して生きる生活が劣っているとは思えなくなります。かつてのアイヌ民族もそのような生活をしていたといわれますが、明治政府の同化政策によってすべて壊されました。

現代人の私たちが、縄文時代の生活に戻ることは難しいですが、縄文人の考え方を参考に現代社会を生きていくことは可能だと思います。それは、かなり軽くて快適な生活スタイルなのではないでしょうか。それこそ、宇宙とつながる合理的な生活というものなのかもしれません。