スペシャリストの生き方

自分だけの生態学的ニッチで生きる

開かれた博士号への道

日本だからこそ論文博士の制度は残すべきであると思うのは、次の理由による。まずヨーロッパ大陸諸国の大学に比較して圧倒的に学費が高いので、論文審査料だけで済む制度は社会人にとって貴重であるというものである。そもそも、日本では子どもがいれば子どもの教育費が莫大にかかる。そして、社会人にとって博士論文の全体構成が自分の頭の中に出来上がるころというのは、ちょうど子どもの教育費が重くのしかかる時期と一致する可能性があるので論文博士の制度はそのような社会人にとって望ましいといえる。

たとえば、フランスは万人に安価な教育の機会を提供している国であるということがいえる。大学の学費は無料で登録料が日本円で5万円程度かかるだけである。もちろん、フランスの大学はほとんどが国立大学なので、学費は税金で賄われており国民負担が発生するのであるが、それにしても学費が無料というインパクトは大きい。そして、大学に入学したときの同級生の数は4年で半分に減るので日本とは比較にならないほど学業は厳しい。よって、学費を稼ぐためにアルバイトをするのにも限度がある。

一方で日本の大学院は、国立で授業料が52万円から53万円程度で、入学金が約28万円。私立であればバラつきはあるが、文系で授業料が60万円から80万円程度で、入学金が20万円から30万円程度ではないだろうか。いずれにしても痛い出費になる。仮に博士後期課程に通えば3年間で200万円以上支払うことになる。その点、論文博士は審査料が高くても20万円から30万円程度と10分の1で済むだろう。そう考えると大学院の博士後期課程に通わずに博士号を取れるのはあきらかに利点がある。ただ、最大の難点は指導教授から論文指導が受けられないこと。しかし、それも社会人の場合は現場での経験があるわけなので、実務経験そのものが自分の指導教授であるともいえる。さらに、いろいろな機関誌や学会誌に論文投稿することで、ある程度、審査員から論文指導を受けられるともいえる。この点をうまく活用することで難点を克服することは可能であろう。

そして、あらゆる人に開かれた博士号の道として論文博士が貴重と思われるのは、学歴不問であり実力さえあれば博士号が授与されることである。義務教育を修了後、何らかの理由でその後学びをあきらめなければならなかった人が、論文博士の制度で博士号を取ることは可能である。そして社会人にとって重要なのは時間の制約である。博士後期課程に通えば、通例3年以内に論文を完成させるという制約が生じる。しかし、論文博士は論文が完成したときが博士号取得のタイミングとなる。日本における最高齢の博士号取得者は、フランス文学者の河盛好蔵氏であり、95歳で京都大学から博士号を授与されている。最近では、尾関清子氏が縄文時代の布の研究で、立命館大学から88歳で博士号を授与されている。このように思い立ったら博士号ではないが、いつでも好きなときに学位申請ができるのは本業で忙しい社会人にとっては望ましいわけである。