職人的生き方の時代

自分だけの生態学的ニッチで生きる

「デモ」は重要な表現手段であるのに

カナダのトルドー政権がトラック運転手たちを含む市民のデモに対して強硬手段を使い排除に乗り出した。もともと市民によるデモは平和的なものだったようである。報道規制も敷かれているので、日本からどれだけの事実が入手できるのかわからないが、少なくとも大手メディア以外の映像に基づくと平和的デモだったと思われる。リンクの動画は一般人が撮影したと思われる、デモの様子である(The Vigilant Fox, Protesters Kneel in Prayer and Ask for Strength in the Face of Government Tyranny, Rumble 19th February 2022)。

Protesters Kneel in Prayer and Ask for Strength in the Face of Government Tyranny (rumble.com)

カナダ憲法には連邦議会も州議会も単独では変更することのできない一定の基本的自由と権利を規定した「権利と自由の憲章」が盛り込まれている。言論、結社、平和的集会などの自由とともに、平等権、移動権、法的権利が含まれているという。しかし、緊急事態法が適用されたことで、集会の自由や表現の自由という基本的な権利ははく奪されたことになる。

そもそも、デモというのは、マイノリティにとって重要な表現手段になる。大林啓吾編『コロナの憲法学』〔桧垣伸次〕(弘文堂、2021年)でも述べられているように、デモ活動というのは、マイノリティにとって多くの人に見過ごされているような争点を気づかせてくれる手段であり、そういう意味でも多少の混乱を引き起こすというのは、デモに不可欠の要素である。

集会の自由や表現の自由を奪われたカナダ市民の行方はわからない。トルドー首相がいうには、大多数の市民は政権を支持しており、デモへの参加者は極端な少数派であることを強調する。そして、その少数派の声に耳を貸さない姿勢を崩すことはなかった。軍隊の出動には否定的なようであるが、警察の暴力的なデモ隊排除には違法性と人道的な問題をはらんでいると思われる。

オーストラリア、ニュージーランド、そしてカナダは、いずれも自由の国というイメージがあったものの、私の中ではそのイメージが完全に崩れてしまった。そして、これらの国の共通項を探っていくといくつかの共通点もみえてくる。ここでは深く立ち入らないが、自由度が高く、人種差別も少ない方で、人権が保障された国というのは、あくまでその国の表層をなぞっていただけだといことがわかった。何とも自分の理解の浅薄さに気づかされる事件が世界で頻発している。少なくとも気づきが得られたという意味では、これらの事件の意味は自分にとって大きい。特にカナダとオーストラリアは大好きな国だったので。