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「論文博士」を導入する大学にとってのメリット

たとえば、指導料や審査料に仮に30万円を徴収したとしよう。大学としては30万円程度では利益に貢献しないといえるだろうか。ドイツ型やフランス型の論文博士制度を導入した場合の最大のメリットは、大学が外の知を取り込めることではないかと考える。とくに社会人の論文は、ビジネスの現場の実情を盛り込んだ内容になるので、大学の教員にとっては入手困難で新鮮な情報も多いと思われる。社会人に対する指導から得られる情報は、国内の実務のみではなく社会人が海外出張したときの情報や海外駐在したときの体験もあるので、非常に多様である。このような情報は大学における研究のみでは得られない。

また、各大学には各種研究会があると思うが、その研究会にも社会人に参加してもらうのがよいであろう。研究会に社会人が参加することで実務において生じている最新の動向や課題を知ることができる。そして、学者と実務家の知の融合によって新しい論点や理論が生まれるかもしれない。大学教員も自らの研究に実務の情報を反映させることで、より現実社会を意識した多面的研究の成果が期待できる。さらに、課程博士の大学院生も研究会に参加することで課程博士の活性化も図れる。

何といっても大学外の異質な人材が研究会に入ることによって組織が活性化されることであろう。また、そのような研究会を通して、参加している社会人の実力や、どの程度の水準の論文を書き上げられる人材かを見極めることができる。本当に見込みのある人材が発掘できれば積極的に博士論文の執筆を勧め、そのままその大学で博士号を取得してもらえばよいと思う。大学院の役割は革新的な知や情報を発信することであるのであれば、このような取り組みで大学院を活性化し、自然発生的な共同研究や産学連携は有用であると思われる。論文博士制度では授業料を取れないのでビジネスとして旨味がないと思うか、あるいは、外部人材による刺激によって、大学院の変革と斬新な情報発信も期待できると思うかは、どのように大学院が社会に貢献していけるかの発想の違いである。社会に貢献していれば、有能な人材やユニークな発想の人材が自然に集まり、組織は豊かな発展を遂げると思われる。

そして、現在の論文博士制度の問題点は、制度に関する情報開示が不十分で、どのような手続きを踏めば論文審査をしてもらえるのか不透明であることだ。また、ある程度の情報開示がなされていても、審査を受け付けてくれるケースが非常に稀なことである。いまだに論文博士は特別な制度であり、頻繁に利用すべきではないという意識があるのであれば、それこそ変革が必要だと思われる。よって、論文審査の形式的要件を明確化し、どの程度の水準の論文を書けばよいのかはっきりさせるべきであろう。そのとき、課程博士と論文博士の水準は同じにすべきだと思う。なぜ、論文の水準に差を設けなればならないのか、あるいは、本当に差があるのか誰も明確な答えができないのが現状ではないだろうか。透明性のない制度を神秘的なものとして温存しておいても仕方がないと思う。