一般的にはビジネスに関する法律を学ぼうとする人は、アメリカ法を学ぶことが多い。実際に戦後、わが国おける会社法や金融商品取引法などに、アメリカ法の要素が多く取り入れられた。当然、アメリカに占領されていたし、戦後はアメリカとの経済取引が多かったので自然の流れであろう。しかし、戦前は圧倒的にドイツ法やフランス法を学ぶ人が多かった。実際、日本の法律の多くはドイツ法やフランス法と多くの類似点をもっている。よって、ドイツ人やフランス人が日本でビジネスをしようとすると警戒感なく商売ができることであろう。逆も然りである。ちなみに、日本人がアメリカでビジネスをする場合は相当勝手が違うので注意する必要がある。基本的に事業者側に圧倒的に厳しく消費者に有利で、株主や投資家も厚く保護されている。
一方、イスラーム法も重要な法律であることは事実である。有名な『悪魔の詩』を翻訳した五十嵐一氏の『イスラーム・ルネサンス』(勁草書房、1986年)によると、イスラームを支えてきたエネルギー源は、中東一円に広がるバザールと隊商の経済であるという。およそ商人が行き交い交易するところでは、異民族、異教徒など風俗習慣の異なった人が取引する。ここに契約の観念や商法的規則が必要とされる。また、都市部では犯罪を取り締まる刑法の必要性が生じてくる。かつて地中海商人の活躍を背景としてローマ法が誕生したように、中東商人の活動がイスラーム法に結晶している。イスラーム法がローマ法と並び世界の二大法律体系であることは注目されてよいと指摘する。
地理的にも東洋と西洋の接点として独自のポジションにあるといえ、日本のような物作りで成功しているわけではないが、その地理的優位性から交易の中心地となり経済発展をしている。つまり生粋の商人といってもよいであろう。また、メッカへの巡礼もあるので人の移動の自由もある程度確保されている。言ってみればすでに自由貿易圏が16世紀以前から形成されていたといってよい。
そして未来に目を向けると、2050年にはキリスト教徒とイスラーム教徒の人口はほぼ同数となり、その後、イスラーム教徒の人口は増え続ける。ということは、イスラーム法やイスラーム教を知らなければ、ビジネスにおいても大きなチャンスを逃すということである。日本においても、すでに一部のショッピング・モールでイスラーム教徒のための祈祷室が確保されているところもある。また、イスラーム教徒が安心して食事ができるようにイスラーム法に沿ったハラール認証のレストランも徐々に増えている。アメリカがイスラーム教国との関係を度外視して、いろいろな経済制裁を発動しているが、日本がそれに便乗するようなことをしては大きなチャンスを逃すことになりかねない。ここでも、アメリカのフィルターを通してしか世界を見ていないと思考や発想が固定化し、ダイナミックな歴史の変化を見誤ることになる。柔和な発想と先見的な戦略で、大いにイスラームの世界を見に行くことも必要な時代である。
最初はシンガポールのアラブ人街を覗くだけでもいい。あるいは、世俗化されたイスラーム教国であるインドネシアを訪れることでもよい。少しずつでいいので多くの日本人がイスラームと違和感なく接するようになることが期待される。幸いにもイスラーム世界の人と日本人の相性は悪くない。1890年に和歌山県沖で遭難したオスマン帝国のエルトゥールル号の乗組員を日本人が献身的に救助した史実が、トルコを親日国にしている。また、イランでは日本のドラマ「おしん」が大人気であったこともあり「おしん」が放送される時間帯に街路から人が消えるともいわれた。もちろん、日本の知識人にはイランを北朝鮮と同じように批判的にみている人も多いが、大体の人がアメリカで教育を受けている人であることに気づいておく必要がある。自分がどのフィルターを通して世界を見ているかは常に意識しておくことが大切である。