あらゆることのインセンティブが「お金」という世界から降りることは可能でしょうか。もしそれが実現できれば、かなり快適な人生が送れます。日々の生活には最低限のお金が必要です。それすらも欲しない人生というのは、逆につまらないかもしれません。
まずはっきりさせておきたいのは、金儲けがいけないことであるなどと思う必要はないということです。お金はエネルギーなので、もし自分のところにお金が集まってくるのであれば、それは適切に使うことで、またお金が循環すると思います。そして、さらにお金が集まるように再投資をするとよいでしょう。
ただし、ここで踏まえておかなければならないことがあります。お金は、いくら稼いでも、いくら儲けても、それで十分といえる水準がないことです。そうです、青天井です。ですから、お金を中心に人生を組み立てると厄介なことになります。そして、もし資本主義から降りることができた場合は、おそらく「自由」が手に入り、幸福感を味わいやすくなるのではないかと想像します。
なぜ、このようなことを考えたかというと、政治、経済、医療、教育、防衛など、あらゆることのインセンティブが「お金」に起因しているのではないかと感じるからです。経済は当然お金が原動力なのは当たり前ですが、政治も医療も教育、そして軍事までもがお金を中心に回っています。表向きは主義主張や思想などで偽装されていますが。
とても警戒しなければならないのは、最近、日本が戦争ができる国になるための準備を、着々と進めていることです。北朝鮮のミサイル問題がありますが、北朝鮮がわが国にとって脅威であることが強調され過ぎます。本来、北朝鮮が脅威ではないことは、冷静に考えればわかることです。あの小国が、日本に攻め込むほどの国力があるはずがありません。
戦争においては兵站が肝になりますが、北朝鮮と日本の間の補給、輸送、整備、衛生、人事、行政管理など維持できるでしょうか。どう考えても無理なわけです。でも脅威を煽ることで、軍備増強につながるし、そこからビジネスも生まれるので、やはり北朝鮮は脅威であってもらわねければ困る人たちがいるわけです。
あらゆる分野で恐怖はビジネスを創造します。私の専門分野である保険もそうです。あらゆるリスクを列挙して、そのリスクの対処法を考えさせて、顧客に保険を売り込みます。医療もそうです。健康診断で、基準値から外れていますので危険ですと煽り、薬を売り込みます。たとえ、その基準値が恣意的に設定されているとしてもです。
教育はどうでしょうか。いい学校に行けなければ、いい会社にも入れないから、もっと塾に通わなければいけないといい、お金を使わせます。社会人にもリスキリングだといい、当人にとって有用かどうかわからない教育や研修を受けさせます。一方で、1990年代以降、対GDP比の教育に対する一般政府支出は約3%となり、それ以前の約5%から減らされていますので、庶民はますます困窮するわけです。
このような社会を作り出す源泉はなにかと考えると、やはり「お金」でしかありません。資本主義をベースにする限り、私たちは常に競争し続けます。学校でも会社でも、とにかく死ぬまで競争です。ですから資本主義から降りるという選択肢が必要になります。自分自身、まだ降りる方法を知りませんが、いつかみつけたいと思っています。
きっと近い将来、資本主義から降ります、という人が急激に増える時代がくるでしょう。5年経過すればその兆しがみえ、10年経過すれば、それが確信に変わるのではないかと思います。私の子どもたちの世代は、かなり違う風景になっていると思います。もちろん、今よりも良い時代になっていると思っています。