スペシャリストのすすめ

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社会人教授というバブル

社会人教授という職種はバブル化しているようです。その意味するところは、ある一定数の人が実態以上に評価されている、あるいは本当の実力が不明瞭でありながら、その地位に就けている状態といえそうです。私にとって比較的身近な存在なので、現在バブルが生じている現状について考えてみます。

社会人教授になるための必要条件として、厳しい目を持っているのは、ご自身も社会人教授の松野弘氏です。ご本人の著作『サラリーマンのための大学教授の資格』(VNC、2014年)によると、学術的な著作や論文という研究業績のない研究者は、大学市場から退場せよ、といいます。英語で、"Publish or Perish!"というようです。

たとえば、文系で50歳の社会人教授クラスで求められる最低限の研究業績は、単著2冊、編著4冊、論文数30本以上ということです。かなり高いハードルですが、学生に論文指導するわけなので、当然その程度の実績がないと指導できないという理屈です。たしかに、あらゆる角度から先行研究を調べて整理し、独自の論点を提示していく過程で、論文における丁寧な引用の仕方も必要で、最低限の研究手法を理解しておくことは大切でしょう。タレントや学術的成果のないジャーナリストが教授になっている実態を危惧しての提言として、あえて厳しい基準を設けているのだと思います。

私の知り合いでも、特に経営学の分野で社会人学生に教えている人がいます。学術的な業績はあまりないのですが、新設された大学院などでは、比較的簡単に特任教授や客員教授になれるようです。人脈がものを言う世界でしょうが、授業料を支払って受講している学生も経験豊かな社会人なわけで、教えていてかなり厳しいのではないかと想像します。必死で背伸びをしても、自分の背丈以上に背は伸びないわけです。そのような余計な苦労をするなら、松野氏が指摘するハードルをクリアする苦労をはじめからしておく方が賢明だと思いました。

大学や大学院が身近になり、そこで教える教員の条件もかなり緩和されたのでしょう。学問の世界にも自由化が押し寄せたのでしょうが、学生の質の低下以上に、教員の質の低下が危惧される事態に陥っているともいえます。そのような基準の緩和は、基準を作成している官僚にとっても、天下りの機会を増やすのにはいいのかもしれませんが、真剣に学術のプロから学びたいと思っている人には災難ともいえます。

つまり、単なる職業経験に基づく経験談や武勇伝を聞くために、授業料を払って大学や大学院に行く人はいないということです。それであれば、その辺でやっているセミナーに参加することで十分です。よって、社会人教授といえども、基本は先行研究を調査し、自分なりの分析を加えて、独自の理論を展開する方法を教えることです。そのためには、外国の資料も含めて、文献の調べ方や分析の方法等、学術的研究の基礎を最低限備えておく必要があります。そのように考えると、今現在、社会人教授になっている人の多くは、松野氏の提示する基準を満たしていないでしょう。最悪でもその半分はクリアしておいてもらいたいものです。あまりにも雰囲気だけでこれだけ社会人教授が増えてしまうと、大学や大学院の人件費削減にはなっても、質の担保は難しいのではないでしょうか。