スペシャリストの生き方

自分だけの生態学的ニッチで生きる

大学院は社会人に何を提供できるか

1991年の大学審議会答申「大学院の量的整備について」において、「大学院は、大学等の研究者の養成を通じ、わが国の学術研究の発展に大きく寄与してきたが、近年では・・・社会の多様な方面で活躍し得る高度な専門的知識・能力を有する人材が求められており、今後は、このような人材の養成についても、大学院の積極的な貢献が期待されている。このため、大学院は、大学等の研究者養成だけではなく、このような社会的需要を的確に受け止め、社会の多様な方面で活躍し得る人材を養成する機関としてふさわしい教育研究指導の体制を整備していく必要がある」と述べているが、天野氏の指摘の通り、この答申ではじめて人文科学系・社会科学系の人材養成の必要性についてもふれられている。しかし、これは単に大学院をビジネスとして活用し、人材を取り込めというメッセージとして受け止められるが、それが本当に社会の要請なのかという点と、多方面で活躍しうる教育研究指導体制ができるのかという点に関しては疑問に思われる。

そもそも、企業は新卒一括採用システムによる学部卒の学生を大量に採用し、その後、社内の研修や人事異動を通して人材育成するシステムを構築している。外の大学院に本気で頼って人材育成するなどあまり考えていない。また、大学院に多方面で活躍できる教育研究指導体制も現場で働いた経験のない大学教員に、そのような無理な難題を押し付けても無理がある。その代り、実務経験のある社会人を教授として採用して対応しようということで、前述の大学教授資格要件の曖昧化につながっているのかもしれないが、教員の質の担保は困難を極めるであろう。

大学院で学んだ経験もなく博士号もない人材が、これだけ多く大学教員として存在する国はない。大学院は、やはり学術的な研究を行うところとしつつ、実務の世界で活躍する人材が、いったんアカデミックな理論に触れることで新しい境地を見出し、その後、現場に戻るというのが理想であると考える。図表のように、日々の業務で使う知識というのはわかりやすく見えやすい。しかし、ここをいくら鍛えても成長できないことがある。なぜなら、その下にある、わかりにくく見えにくい学術の世界の広がりを身につけていないからである。この学術の土台を大きくすることで、その上に実務的な実力が乗りやすくなる。急がば回れで、いったん大学院で学ぶことの有用性がこの辺にあると思われる。よって、大学院では実務を教授していてはいけないのである。大学院では、やはり徹底的にアカデミックなことを学ぶべきであり、一見なにも実務に役立たないと思えるようなことでも、実務を豊かにするために学術の世界の広がりを学ぶことは重要なわけである。よって、実学重視などという志向は不要なわけであり、大学院も無理して不得手な分野に参入する必要はないわけである。そういう意味でいまの大学院の現状は不幸である。昔のまま大学教授は学術の世界を極め、社会人が実務の世界を極めていれば、双方が協働することで自然とバランスがとれたのである。

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