スペシャリストの生き方

自分だけの生態学的ニッチで生きる

アラブ世界から多くを学んだヨーロッパ

暗黒時代といわれる中世ヨーロッパにおいては、キリスト教の教会による支配が強く、古代ギリシャやローマの文化が破壊されて、文化的発展ができなかったと考えられている。その間、魔女狩りもあれば、十字軍の遠征による戦争もあり、イメージとしては暗い世界となる。そして、ルネサンスによって、文芸が復興しヨーロッパ世界に光が差し込めたことになる。

このルネッサンスは、イタリアのフィレンツェを中心に、古代ギリシャ・ローマの世界の学問や文化が復興したことを指すが、意外にもその古代の英知をヨーロッパにもたらしたのはアラブの世界であった。十字軍の遠征に参加した人々がアラビアで見たり経験したりしたことは、ヨーロッパ世界にはない高い水準の科学や文化だったのである。

私たちが日ごろ使っている、1、2、3という算用数字も、もともとはアラビア数字といい、アラブ世界からもたらされたものであるし、プラトンアリストテレスなどのギリシャ哲学などもアラビア語に翻訳されて残っていたという。また、『医学典範』等の体系的なアラビア語医学書も多数存在していた。

ここで興味深いのは、これらのアラブ世界の文化や科学が、アラビア語からラテン語への大量の翻訳によってヨーロッパに持ち込まれたことである。このような活動を通じてこそ、ヨーロッパに合理的な知性が復活したことは注目すべき点である。外の世界との接触があるからこそ学問が発展するということ、異質なものとの接触が次の時代のイノベーションをもたらすということは、とくに島国に暮らす日本人にとって心にとめ、積極的に外の世界から学ぶことを求めるべきことなのかもしれない。

そして当時、ヨーロッパの西側において産業の中心は農業であったが、イスラム世界との貿易や金融が盛んになり経済が発展し、アラブ世界から重厚な知識が流入したことに伴い、神学がたんなる宗教的な教条主義から、哲学に対抗するため理性を大いに使った学問として発展し始め、聖職者に独占されていた読み書きはそれ以外の人びとにも解放された。また、貿易も盛んになったことかから、経済取引を規整するために法学の発展が必要となった。さらに、人が多く行き来する社会となり、大都市も形成されることになり、新しい伝染病も含めた病気が出現し、医学もより体系的に構築される必要がでてきた。こうして、神学、法学、医学が学問の基礎となっていく。