職人的生き方の時代

自分だけの生態学的ニッチで生きる

奇跡的な幸運の連続で今の自分がある

就職氷河期世代の非正規雇用者に対して自己責任論を主張する人には、いわゆる「勝ち組」といわれる人が多いのでしょう。しかし、そのような主張を続けていると、いずれ「勝ち組」も「負け組」になります。そもそも人生に勝ち負けなどありません。

もし貧困層が増えると、社会保障の負担が増えます。また、多くの人の購買力が下がるわけなので、経済も停滞します。さらに、治安が悪化し、誰もが安心して生きられる社会が崩壊します。

昼夜問わず無防備で歩ける社会が実現できている日本は、そのうち、常に警戒しながらでなければ歩けない、緊張感あふれる世の中になることでしょう。今の日本社会であれば、お尻のポケットから財布がはみ出していても問題ないという驚くべき環境が整っています。

そして、勝ち組といわれる人たちは自分の力で今の立場を獲得したと思うのかもしれません。わたしは勝ち負けの評価軸を持たない幸せ者だと思っていますが、自分の現在地は過去からの奇跡的な幸運の積み重ねでたどり着いていると考えています。自分の力で成し遂げたものなどあるようでないのです。

わたしの場合、まず貧困家庭には生まれませんでした。そして、小中高と苦労することもなく育っています。大学も北海道の田舎から東京の大学に進学させてもらえました。親の負担は相当なものだっただろうと思います。

大学受験も女子が4年制大学に行く時代ではなかったので、わたしが入り込めるスペースがありました。1980年代後半は、わたしよりはるかに優秀な女子が短大に行っていた時代です。これも見方によってはラッキーでした。

その後の大学院も、優秀な成績ではなかったのですが、先生に恵まれて進学でき、学位ももらえました。

就職も男女雇用機会均等法が施行された後ですが、総合職90人のうち女性が3名しかいない時代です。女性が総合職に応募することが珍しい時代だったので、ここでも自分のために枠が余っていたといってもいいでしょう。

転職に関しても、自分の実力というより、わたしを推薦してくれる人、引っ張てくれる人の絶妙な組合せでうまくいくことが多かったと思います。

博士論文も、自分の仕事と興味の対象が合致したので、それほど苦労することなく書けました。指導教員も同じようなテーマに興味を持っていたので、学位の審査もスムーズに進み、3年のところを2年で取れました。

とにかく、幸運の連続で今の自分があります。そう考えると、何か運命のいたずらで、貧困層に落ちてしまった人は多いのではないかと思えます。不運の連続の中で生きている人に向かって、少なくともわたしは自己責任論を主張する気にはなれませんでした。

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